書斎の住人





「素敵な場所ですわね」
チェリーピンクの歌姫が遣って来た。
一歩この部屋へ入るなり、そう言って天使の如く微笑んだ。
「そう――思いますか?」
「ええ」
円形のこの書斎の高い天井に、そして棚に詰められた数々の本の隙間に、その澄んだ声は響いて沁み込むように吸い取られて行く。
「『そのうちにここに住むなんて言い出すんじゃないか、アイツ』ってさっきカガリさんが心配していらっしゃいましたけれど」
真似た言い方でそう言いながら、歌姫は興味深げに後ろ手姿のまま部屋を見渡しながらゆっくりと歩いている。
「でもこんなに素敵な場所でしたら、私も住んでみたい位ですわ」
立ち止まると、にこり、と笑った。
「カガリからは『変わってる』と酷評を受けましたが」
「あら、じゃあ私達は『変わり者同士』、と言う訳ですわね」
そう言ってフフ、と楽し気に笑う歌姫の清らかで澱みの無いその声が天井のアーチに木霊して、それは心地の良い香のようにふわりと響いた。
黴びた部屋の香とはまるで対照的な筈のそれは、寧ろなんて良く合うのだろうかと思った。
全く相反するもの同士に思える異質なものが、思わずそぐう事がある。相性が悪いように見えて、実はそうでは無い。どこで何が繋がり合うのか不思議と違和感が無い。
違和感、ああそうか。
そう考えて俺は気が付いた。
違和感が無いのだ、彼女がここにいる事に。
「ここは貴方そのものですわね。アスラン」
棚の本の背表紙を眺めながら謎のような言葉が歌姫の口から漏れた。
「昔から貴方の中にあった場所。知っていましたわ」
後ろ手のまま振り向いた。先程とは違った静かで穏やかな眼差し。
「見つけたのですね?」
微笑んで首を傾げると、チェリーピンクの長い髪が同時に揺れた。モノトーンの部屋の中にあってそれは陽の光のような優しさを辺りに醸し出す。
光と影。
全く相反するこの二つは実はとても近いのかも知れない。
同化する事は無くても同時に在る事の出来る存在。
何より実は互いを一番良く知る事の出来る存在。
けれどその存在は相手を包容するものでは無く――ただ、背中合わせのようにそこに在る。もう一人の自分のように。
そんな関係性があるのだ――と知った。
「素敵な香に包まれていますのね、ここは」
「カガリは単に『黴臭い』、と」
「あら」
歌姫は優しさを湛えた笑みをその瞳に宿す。
「好きですけれど、私は」
多分、きっと、かつてその微笑はすぐ近くにあったのだ――。近すぎて、まるで見ようともしなかったその微笑みを、漸く今この虚ろな薄明かりの中で自分は目に映しているのだ、とそう思った。
「――お願いがあるのですが」
「何かしら」
「歌ってくれませんか」
そう言うと、歌姫は俄かに柔らかく微笑んだ。
「素敵ですわ。ここには神秘な空気が満ちていますもの――でもその前に、」
そう言いうと両手を胸の前で合わせた。
「お茶をいただいてはいけませんか?ここで」
「ここで?」
「ええ、ここで、ですわ」
小さな子供が密やかな遊びを見つけた時のように瞳が屈託無く輝いている。
「――そうですね」
同意の言葉を苦笑気味に漏らす。
「それでは早速カガリさんをお呼びして参りますわ」
微笑んだまま、まるで楽しげにそう言うと、ふわりと歌うような足取りで彼女はチェリーピンクの髪を揺らしながら部屋を出て行く。
きっとうんざりとするのだろう金の髪の妖精の表情を想像してまた苦笑したが、それもまたいつしか愉しんでいる自分を見出して知らず笑みが漏れた。



『見つけたのですね』



本の隙間から、先程の歌姫の言葉が呪文のように這い出して来て、高いアーチの薄闇の空へと消えて行くのが見えた。




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<06/10/22執筆―12/3加筆・修正>