幕間




煌びやかな光が満ちるホールに照り映える色取り取りの絹の波。その贅を凝らした揺れるドレスから放たれる絹独特の光沢が、そこに在る全ての価値観と言うものをその中に凝縮している。その光を何より至上のものとして愛でて止まないある特権階級の人間が集うその夜会では、今日も変わらない光景と会話がまた繰り返されている。
「お聞きになりまして?」
扇子の影で密やかに交わされる会話は彼らの崇拝する品位や品格からは大抵程遠い。
「ええ、存じていますわ」
返される答えも扇子の影で品の無い嘲笑を滲ませる。
「養女の件でございましょう?」
「解消したそうですわ」
「あら、私は初めからこうなると睨んでおりましたのよ」
「土台、無理な話だったのですわ。他人の娘を亡くした娘の身代わりにしようだなんて」
「そもそもその娘も怪しいものでしたわ。本当にシモンズ家縁の者だったのかどうか。卑しい身分の出だったと言う噂もありましてよ」
「そう言えば、ザラ家とも何か一悶着あったそうですわ」
「ええ、あったようですわ」
「あの方が暫くザラ家と関係の深い家との交わりを拒んでいらしたもの」
「それもあの娘に係わる事だとか」
「ええ」
「そうしたら、ほらすぐその後に夫人がお倒れになって」
「心労だと仰っていましたけれど」
「何の心労かはっきり仰いませんでしたけれど、大方、あの娘とザラ家との揉め事によるものでしょう」
「お陰で暫く社交界にあの方が姿を見せなくなった所為で、ザラ家は命拾い」
「本当に」
「その後に、あの解消の件でございましょう?こうも揉め事続きでは、あの方も社交界に対して対面も何も、ねえ」
「素性のはっきり知れない者を迎え入れたりした報いですわね」
「夫人の静養の為と言いながらすぐに都を離れられたのも、やはり暫く噂が鎮まるまでこちらに居辛いからではないかと」
「ええ恐らくは」
「あら、噂をすればほら……」
「命拾いをなさった方がいらしたわ」
「けれどあの一件も、アスハ氏の一方的なものだったと言う噂もありますし」
「それでは彼はまたとんだ災難に巻き込まれたと言うわけですわね。ラクス・クラインの時と同様に」
密やかに交わされた影の内での会話はそこで止んだ。
近付いて来た麗しい笑みを湛えた青年が慇懃に挨拶をしたからだった。
「御機嫌よう、奥様方」
「あらお久し振りですわね」
「ええ、いろいろと忙しくしておりましたので」
「そのようですわね。お噂は伺っておりましてよ」
その言葉に青年はやんわりと微笑で返した。
「今度うちの屋敷で花の季節のお茶会を開きますの。いらして下さる?」
「ええ、是非」
優美な微笑を浮かべて青年は答えた。
そして違う場所に立つ見知った顔に気付いたように目で挨拶をすると、その場を辞す言葉を丁寧に述べ、そちらの方へと向かってまた歩いて行った。
「彼はどこか変わりましたわね」
一人の夫人がそう言うと、もう一人の夫人も答える。
「ええ、どこか変わりましたわ」
「以前の冷めたように見えていた部分が薄らいだとでも言いましょうか」
「大人になったのですわ」
そう口にした夫人の手にある扇がひらひらと揺らされる。
「社交界に入ってザラ家の放蕩息子もいろいろと経験をして、やっとこの世界を知ったのでしょう。まだ彼は子供だったのです。この世界を生きて行くには何を身に付けねばならないか、漸くわかったのでしょう。アスハ家との事がいい例ですわ」
「若いうちはとかく何でも許されると思うもの。彼ももっと学ぶべきですわね」
扇子の影の評定はそう結論付けてから、もうその話題には興味を失ったように次の話題へと移って行った。その間にも煌びやかな光は上質な絹のドレスの光沢をそこに現し続けている。
その場を離れた青年は、幾人かの見知った顔と暫く挨拶を交わしてから、やがてホールの中程まで来て立ち止まった。そしてまるで何かを確かめるような面持ちでゆっくりと辺りを見回した後、ふいに不思議な笑みをひっそりと漏らした。それは他の誰にも気付かれることの無い、彼自身にしかわかり得ない理由による満ち足りた微笑だった。その微笑を漏らした後、彼はホールを突っ切って夜のテラスへと踏み出した。そして誰もいないテラスで手摺に凭れ掛かり、空を見上げる。いくつか瞬いている星はまばらに空に散らばり、小さく点滅を繰り返す。黒い幕に蒔かれたガラス片のような星々を見上げていた青年の口から、やがて小さく声が漏らされた。
「――虜の鳥は、漸く野に放たれた」
そして先程と同じあの満ち足りた笑みを浮かべると、また空を見詰め続ける。その放たれた鳥が夜陰に紛れてどこを飛んでいるのかを見定めるように、青年の瞳はずっと闇を追い続けた。ホールの方でやがて音楽が始まり、人々が輪を描いて踊り始めても、青年の姿はそこから動かなかった。
曲が幾つか変わり、その内に音楽が鳴り止んで、踊る事に疲れた人々が漸くそれぞれに散り始めた頃、テラスにあった青年の姿はいつの間にか闇に掻き消えたようにそこには無かった。



<08/09/15>

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