恋するアンドロイド / 5







朝の車中での事だった。
「アンドロイドが人間を好きになる事があるのか」と唐突に訊ねられた。

   今はまだ、その質問の意味の在り処すら、わからずにいた。



「好きになること…ですか?」
「相手に対して好意を抱くと言う事だ」
主人を乗せた車は朝靄の立ちこめる郊外の静かな風景の中、他に車の見当たらない閑静な道を滑るように走っていた。郊外に屋敷を構えることの出来るのは、今では上流階級の人間だけになっている。昔とは違い、開発され尽くした都市部よりもありのままの自然の姿が残っている郊外の方が、土地の値段が遥かに高い、と言う逆転現象が起こり始めたのはいつの頃からだったろうか。
「私達は常に人間に対して忠実でそして誠実であるようにプログラムされています。が、それを好意、と呼ぶべきものかどうかはよくわかりません」
ずっと車外の景色の流れに目を遣っていたカガリが、ポツリと言った。
「じゃあ、特定の人間に対して、特別な感情を抱くことは?」
訊ねられたその意味がよくわからずに、答えを探していると
「恋だ」
とまたポツリと言った。
「アンドロイドも恋をする事があるのか?」
流れ去る景色を映す瞳も、吐き出された言葉もどこか空ろ気に漂っている。
近頃時々そんな表情をするようになった、と思いながら、彼女の口から初めて出されたその言葉に対する答えを探すべく、データを検索していた。
『恋』……?
「通常のアンドロイドにはそのような感情を持つ機能はありませんが、しかし人間のその感情に対応する専用のアンドロイドなら存在します」
そんなデータを導き出した。
「通称『身代わりの恋人』と呼ばれる愛玩用のアンドロイドです」
「愛玩用……?」
「人間の満たされない欲求を埋める為に造られた、専用のアンドロイドなのです」
『身代わりの恋人』いつの頃からかそう呼ばれるようになった彼らは、精神的医療を必要とする人間を対象に始め開発されたが、その内に「性に対する満たされない欲求」を専門としたアンドロイドをある会社が開発すると、途端にその分野の需要が急増した。「裏切らない愛情」を与えてくれる彼らは、満たされない感情を持て余す人間や、傷付いた心を癒せずにいる人間達の間で忽ちの内に受け入れられ、主人に対してのみ向けられるその純粋で偽りない感情は、人間の心を潤し、そして癒して幸福な一時を与えた。
「しかしその内に、次第に廃棄される彼らの数が増えていったのです」
「廃棄?」
「人間が飽きたか、または本物の恋人が出来て、捨てられるケースが相継ぎ、一時は環境問題にまで発展しました」
「……」
「その為に、今では必要の無くなった時には手数料を支払えば、開発会社が引き取る事になっています。そしてそこで彼らはメンテナンスを受け、または造り替えられて、再び必要とされる新しい主人の元へと送られて行くのです」
言い終ると、暫く沈黙が続いた。そしてその後で
「造られた恋、なんて…そんなものは『恋』じゃない」
そんなカガリの呟きが聞こえた。
「私にはよくわかりません…がしかし、中にはずっと戻って来ない者もいるのだそうです。主人と共に一生を過ごした者、または主人と駆け落ちをして行方がわからなくなってしまった者、そんな者も稀にいるのだそうです」
「……」
それ以後は流れ行く景色に目を向けたままで、彼女はずっと無言になった。
『恋』と言う言葉を呟いた時の、空ろな瞳と表情が、何故か酷く焼きついて記憶の分類ファイルに残された。
そのファイルに、名前はまだ無い。

採り採りの色で溢れたその中に立つと、自分がまるで色の無い存在だと言う事に気付く。
そしてそれが自分の存在そのものを教えているようで、いつも何故か安心する。
妙だ、と思う。こんな感情を今までに感じた事は無い。「自分」と言うものの存在に対してこんなふうに考えた事などは無い筈だ。それなのにこれは何だと言うのだろう。
まるで、人間のようではないか  
「花が好きなのかい?」
後ろからそう声がした。
振り返ると、目を細めた皺だらけの顔がそこにあった。
「よく花を見ているだろう?」
「ええ。…何だか落ち着くんです」
そう答えると、より目を細めて笑った。
「そうかい、いい事だ」
そう言うと、老いた腰を屈めて花壇の草を抜き始めた。
「お聞きしたいのですが」
そう言うと、ふと手を止めてこちらを見た。
「花も恋をする事があるのでしょうか?」
「……ほう…」
少し驚いた表情を作ると、また目を細めて柔和な笑みをそこに湛えた。
「お前さんいい事を言うねえ。…そう、花も恋をするから、より綺麗に咲こうとするんじゃよ」
その答えに自然と笑みが零れた。
「おや、嬉しそうだねえ」
「え…?」
「お前さん、今自分の事のように笑ってたよ」
そう言うと、また草を抜き始めた。
「恋でもしてるのかい?」
「私には、そういう感情はわかりません」
「そんな事は無いさ」
そう言うと、立ち上がった。
「花を好きだと思う、綺麗だと思う、その心で充分だ。愛しむ気持ちはどれもみな同じだよ」
そう言うと、皺に埋もれる程に目を細めた。
その周りでは一杯に咲いた採り採りの花達が、微風に吹かれてさやさやと楽しげに揺れていた。

下校を始めた生徒の姿がチラホラと、学校の建物から出て来るのが見えた。
いつものように専用駐車場の入り口でカガリが来るのを待っていると
「あら、アスランじゃない」
と声を掛けられた。
あのフレイと言う女性徒が、今日は一人で近付いて来る。
「カガリならまだ中にいたわよ。何だか取り込んでたみたいだけど」
そう言うと、意味ありげにクスクスと笑った。
そしてより側に擦り寄ると
「ねえ、私も買ってもらったのよ、彼」
そう言うと、少し離れたところに立っているアンドロイドをチラリと目線で示した。
「どう、素敵でしょう?」
そう微笑んでから、「まああなたも結構素敵だと思うけど」と付け加えると、
「じゃあね」
と待っているアンドロイドの方へと走り去って行った。
     一目見てわかった。
それは『身代わりの恋人』……愛玩用アンドロイドだ、と  

暫くして建物から出て来るカガリの姿が見えた。
そしてその隣に一人の男子生徒が並んで出て来るのが見え、しきりと何かを話し掛けている。カガリはその話に聞き入るでも無く、時々相槌を打つその顔は何となく浮かない様子だった。やがて、駐車場の入り口までやって来ると、その男子生徒がこちらの方を見て言った。
「君のアンドロイド?」
「うん…」
当惑気味に俯いたカガリに確認をとると、こちらに近付いて来て言った。
「君、彼女は今から僕と出掛けて来るから、車で待っていなさい」
そう言うと、カガリの腕を取った。
「じゃあ行こうか」
その時一瞬見上げたカガリの視線がこちらを見た。
数秒合った視線が、酷く長く感じられた。
その瞬間に、あの空ろに漂っていた今朝の瞳を何故か思い出していた。
「その手を離して下さい」
そう言うと同時に腕を伸ばして、カガリの腕を掴んでいた男子生徒の手首を掴んだ。
「わ!」
軽く掴んだつもりだったが、男子生徒は短い悲鳴を上げた。
「何をする!」
「彼女から手を離して下さいと言っているのです」
そう言うと相手は一瞬たじろぎ、そして次に掴まれていた手を乱暴に振り払った。
「何だって?お前、アンドロイドの分際で人間に命令をするのか!」
「私は彼女の護衛で、彼女を無事に屋敷まで送り届ける事が最大の任務です。学校以外への立ち寄りは、彼女の保護者であるアスハ氏が許していません」
カガリの父親の名前を出すと、途端に男子生徒の顔色が変わった。
「私はアスハ氏から受けた命を実行する為に、如何なる手段をもってしてもあなたが彼女を連れ去ろうとする行動を阻止せねばなりませんが」
そう言うと、男子生徒は青ざめた表情で立っていたが徐々に後退り始め、そして逃げるようにその場を立ち去った。
その姿を見届けてから、
「帰りましょう」
そう言ってカガリを見ると、ただ黙ってこちらを直視していた。
瞬きもせず直視しているそれは、読み取れない感情をその奥に隠すように表情も無く見開かれていたがやがて、弱々しく微笑むように歪められた。
「お前のせいで…」
開かれた唇から漏れた声は少し掠れ気味に小さく響いた。
そして歪んだ微笑はどこか泣き顔にも見えた。
「お前のせいで……………私はまともな恋さえ出来ない……」

夜の庭は昼間に溢れ出した花達の匂いがまだひっそりと残り、冷まされた空気の中でより芳しい甘い香りを放っていた。
このところカガリは夜の時間を庭で過ごす事が多くなった。
花の中で佇む影が窓から見えた時、薄着だった夕食時の姿を思い出した。
ストールを手に持つと、庭に出る。と途端に、甘い香りが辺りを包んだ。
最小限に抑えられたガーデンライトの灯りを頼りに、影の方へと近付いて行く。今日は月の光も弱々しい。
近付くと、ふと顔を上げてこちらを見た。側へ行くまで黙って見ていた。
「夜露がかかりますから」
そう言って差し出したストールを暫く見ていたが、「ありがとう」と呟いて受け取った。
「夜はまだ少し冷えますから、体を冷やさないうちに戻って下さい」
そう言って戻ろうと向けた背に
「アスラン」
呼びかける声がして、振り向こうとした瞬間、背にコツンと何かが触れた。
それは重みと、暖かい温度を伴って体に伝わってきた。
「…小さい頃はよくこの背に負ぶって貰ったな…」
額から伝わる温もりが、その頃の記憶を思い出させた。
まだすっぽりと、手の中に収まる程に小さかった姿がふと思い起された。
「……どうして人は…………大人になるんだろう………?」
背を通して伝わった呟きは弱く寂しげに響いて、甘い香りと共に名前の無い記憶ファイルの中に残された。




<06/04/16>

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