恋するアンドロイド / 4







均衡を保っていた調べが微妙な狂いを生じ始めていた。

誰も気付かないところで。








カガリ、13歳――



「カガリ様をお迎えに行くのかい?」
庭師が声を掛けた。
年老いた皺の深い顔に、柔和な表情を滲ませて目を細めている。それが彼の人に話し掛ける時の癖だった。そして人だけでなく、花達や俺に話し掛ける時にも、彼は同じ表情をして見せた。彼にとって人も花もアンドロイドも、みな分け隔ての無い、同じ存在なのだ。そんな彼が、この屋敷において、カガリが幼い頃から心を許している数少ない人間の一人でもあった。
「ええ」
そう返事をして庭を横切りかけたが
「花達は今日も綺麗ですね」
そう言うと、顔を一層皺だらけにして彼は嬉しそうに微笑んだ。
庭を抜けた場所に止めてあった車に乗り込むと、エンジンをかけた。
振り返ると、庭師がまた老いた体を動かして花達の世話をしている姿が見えた。まるで孫達に囲まれた老人のように、優しい顔だった。

カガリは今年、学校に入学した。
今までは家庭教師が各課目ごとに雇われ、屋敷に赴いて学校教育に劣らない教育をカガリに施していた。名門「アスハ家の娘」を父親である屋敷の主が、屋敷から遠く離れた学校へと通わす事に難色を示していた為だったが、このまま屋敷に閉じ込めておくわけにもいかず、年相応の友達も必要と言う家庭教師の勧めもあり、止むを得ず主が決めた事だった。
その為に、元々護衛という役目で付けられていた俺が、当然のようにカガリの日々の通学の送り迎えをする事になった。
車の運転ライセンスは出荷時にオプションとしてインストール済みなので問題はない。
目的に応じて、俺達はデータをインストールしたりバージョンアップしたりと、人間が多くの時間を費やして会得するものを、僅かな時間で取り入れる事が出来る。だから最近では自分が苦労するよりも、代用のアンドロイドを買い求めようとする人間の方が多いのだった。
だが。
全てがインストール出来る訳では無い。アンドロイドも完全では無いのだ。寧ろ、こんな不完全で不明瞭な存在は無い、と。
いつの間にか自分の中に漠然とある、不可思議で得体の知れない何か。
プログラムでは解析不能なその存在を、一体何と呼ぶべきなのか。


「それはきっと『こころ』って言うんだ」
いつだったか、彼女がそう教えてくれた。


郊外をしばらく走ると、やがて街へと入る。
街は人ごみや車で溢れ、静かな郊外の屋敷とはまるで別世界のようだった。
いきなりそんな世界に連れて来られたカガリはその喧騒に始め怯えたようだったが、何よりも彼女に酷だったのは、「アスハ家の娘」と言う周囲の羨望や好奇や欲望の入り混じった視線だった。
それは突然連れ出された、「社会」と言う苦い現実だったのだ。
そこには花園も、優しい皺だらけの笑顔も無い。
そっと隠してくれる秘密の場所も何も無い。
街中を走った車は、暫くして瀟洒な建物の前へと辿り着いた。比較的上流階級の家の子供達が通う学校らしく、造りも見栄えも美しい建物で、その隣には送迎者用の駐車場が完備され、そこには同じように主人を迎えに来たアンドロイド達の姿があった。
無表情な、その仲間の姿を認めながら車を降りる。
彼らはただ、送迎用の為だけにプログラムされた仲間達だった。
その体に「こころ」は無い。

「あなた、カガリのアンドロイドでしょ?」
駐車場の入り口で突然声を掛けられた。
下校を始めた生徒達の中から、いつの間にか数人の女性徒がやって来て周りを取り囲んでいた。
「そうですが」
そう答えると、先程声を掛けた女性徒が首を傾げてにこりと笑った。
「ああやっぱり。通りで、高そうなアンドロイドだと思ったわ」
そう言うと、周りの女性徒と顔を見合わせた。
「さすがアスハ家よねえ」
女性徒達は取り囲んだまま、しげしげと俺を見ている。
「見て、この皮膚。本物ソックリよね」「この瞳だって、本物みたいによく出来てるわよ」そんな事を口々に言いながら、体に触れたり覗き込んだりしている。
「でもこんな綺麗なお人形だったら、恋人代わりに私も一人欲しいわ」
誰かがそう言うと、キャアキャアとみんなで笑い合った。
その内に、先程話し掛けた女性徒が
「ねえ、名前、何ていうの?あるんでしょ?」
そう言いながら擦り寄ってきた。
「フレイ!」
その時、女性徒達の後ろでそう呼ぶ声がした。
険しい表情のカガリがそこに立っていた。
「アスランに、何をしている?」
フレイと呼ばれた女性徒はカガリの姿を認めると、俺の腕に甘えるように更に擦り寄った。
「へえ、アスランって言うんだ、彼」
そしてカガリの様子を窺うようにチラリと見た。
「いやねえカガリったら、そんな恐い顔して。ちょっと彼とお話ししてただけじゃない」
クスクスと笑った。
「なのになあに、まるで恋人を取られたみたいな表情ね」
そう言うと、周りの女性徒がまたキャッと笑った。
その時微かに、カガリの瞳がピクリと蠢くのが見えた。
「やめなさいよ」
突然、カガリの後から一人の女性徒がそう言った。
「悪ふざけが過ぎるわよ、フレイ」
「あら、ミリアリア。別にふざけてなんかいないわよ」
そう言いながらフレイと呼ばれた女性徒は俺から離れると、他の女性徒に「ねえ」と同意を促した。
「本当の事を言っただけよ」
そう言ってクスリと笑うと、「じゃあね、アスラン」とチラリと俺の方を見て、また他の女性徒と並んで歩いて行った。
その後姿から、またキャッキャッと弾けるような笑い声が聞こえた。
「気にする事ないよ」
ミリアリアと言う女性徒はそう言ってカガリの肩をポンと叩いた。
「あの子、カガリを羨んでるだけなんだから。今までは自分が男子の人気を一人独占してたからって」
「…うん、ありがと、ミリアリア」
カガリが漸く表情を崩してそう言うと、ミリアリアがふいにこちらを振り向いた。
「あなたがアスランね?ねえ、あなた、護衛だから教えといてあげるけど。カガリって結構男の子に人気があるの。だから気を付けた方がいいわよ」
そう言うと、にこりと笑った。

街中を抜けた車は郊外を走る。
いつもはその日の出来事を話して聞かせたりしていたカガリが、今日はずっと押し黙ったまま、車外の景色を目で追っている。
「おとなしいんですね」
そう声を掛けたが、やはり黙ったままで答えない。
やがて屋敷が近付いて来た頃、
「何で…」
そう呟く声が聞こえた。
か細い呟きはしかし、それきり聞こえなかった。

「友達は、出来ましたか」
そう尋ねる声は優しさに満ちて、夜の闇に融けて行く。
「うん。ミリアリアって言うんだ」
そう答える声もどこか甘えていて優しい。
「それはようございましたね、嬢様」
皺だらけの笑顔に、花達に与えるのと同じだけの優しさが滲んでいた。
ベンチに座る二つの影は親子のように寄り添いながら、静かに時を過ごしている。
「友達は大事になさいませ」
その言葉に素直に頷いた返事と共に影は立ち上がり、夜の挨拶を交わすとそこで別れた。
小さい影が薔薇の木々の中の小路をゆっくりとこちらに歩いてくる。
そしてそこに立つ護衛の姿に気が付くとふと立ち止まった。
薄闇で一瞬目が合うと、暫くして、つとそれを逸らした。
そしてそのまま側を通り過ぎざまに、「…おやすみ」と小さく呟かれた声が、酷く儚げに、薄闇の中に消えた。




<06/03/26>


前へ / 次へ