ベツバラ







カガリの目の前には、鍵が置かれている。
書斎の机で、さっきからその鍵を見つめては手に取ったり、置いたり、を繰り返している。
先日、初めてアスランの部屋を訪れてから暫くして、
「これ」
と渡されたものだが、
「鍵?」
と、暫く手の中のそれを見つめていたカガリは、ようやくその意を解して、
「えっ?」
とアスランを見た。
「こ、これ…?」
「ああ、そう」
「そうって、あの…」
「好きに使っていいから」
「いや、でも、好きにって、あの…」
カガリはこういう体験も初めての事ながら、どう反応していいのか戸惑った。
こういう時は、普通「有難う」と言うべきなのか…?
すると、そんなカガリの様子を見ていたアスランが言った。
「別にカガリが使いたい時に使えばいいし、それに、もし何かあった時の為に、持っていてくれればいい」
そして、付け加えて
「別に俺は夜中に使ってくれても一向に構わないけど…?」
と悪戯っぽく笑う。
それを聞いたカガリは瞬間湯沸し器のように真赤になった。
先日、アスランの部屋での出来事を思い出したからだ。所謂、「そういうコト」になってしまったワケで…。
「はぁ?…な、何言って…」
しどろもどろになるカガリは、まだそう言う言葉にも免疫が出来ていない。いいようにアスランに弄ばれている。
まあ、そう言うワケで、今カガリの手の中には鍵がある。
「だけど、なあ…」
とカガリは考え込む。
「この鍵は、いつ使ったらいいんだ?」
普通、そういうふうには悩んだりしないものだが。
ちょっと事情が「普通」と違うこの乙女の悩みは、ややこしい。

アスランが珍しく出張している。
あまりそういう仕事はしないのだが、時折調査や交渉などで、単身で長期の仕事に出向く事があった。
今回の旅程は4日で、今日がその出張から戻る予定の日だ。
カガリは仕事を終えてから、お忍びで街へと向かう。
そして一通りの買い物を済ませた後、ある場所へと向かった。
――もちろん、アスランの部屋へ、だ。
部屋の前に着くと、上着のポケットから鍵を取り出す。
そんな他愛の無い仕草だが、なんだかとてもくすぐったく、そして甘酸っぱい行為のように思われて、カガリは独りでに微笑む。
カチャリ、どドアを開けると、アスランはやはりまだ帰っていない。
多分、帰りは遅くなると言っていたからこの部屋に直行する筈だ。
テーブルに買ってきたモノを色々と並べてみる。
そして、向かい合った席に皿やフォークとナイフ、それにグラスなどをセッティングする。
色々と2人の会話を想像しながらそんなコトをしているのが、酷く楽しく思えた。
「アイツ、何て言うだろう?」
カガリはアスランの反応を想像して、独り笑う。

それから暫くして、ドアがカチャリ、と開く音がした。
「お帰りっ、アスラン」
カガリがそう言ってパタパタと駆け寄ると、アスランはドアを開けたまま、暫く目を見開いていたが、
「…凄い…不意打ちだ…」
とそう小さく呟いて、中へ入った。
「あの、使ってみたんだが、…鍵」
カガリはおずおずとそう言って、
「お前、夕食まだだろう?出来合いばかりで悪いんだが、一緒に食べようと思って」
そういうカガリの後には、綺麗に並べられた食器と、そしてアスランの好物ばかりが並んでいた。
あまりにアスランが黙っているので、カガリは少し不安になる。
「悪かったか…?疲れてるのに」
「あ、いや、ゴメン。そうじゃないんだ。ただ感激の余り、ちょっと…」
その言葉にカガリの顔色がパアッと明るくなる。
「好きに使っていい」と言った鍵だったが、、まさかこんな可愛い仕打ちに出られようとは思ってもいなかったアスランは、本当にただ、感激していた。そしてその感激という感情は、当然、別のところに飛び火していく。
「食べよう、アスラン」
嬉しげに言うカガリに、アスランが言う。
「じゃあ、俺の好きなものから食べてもいいか?」
「ああ、もちろん?」
「じゃあ」
そう言って、アスランはヒョイっとカガリを抱えると、スタスタと別の方向へ歩き出す。
「ちょっ、何するんだ…?!」
赤ん坊を抱きかかえるように、カガリは後ろ向きで抱えられていて、ちょうど胸のあたりにアスランの顔がある。
「だから、好きなモノから食べていいって言っただろ?」
「はぁ?お、お前…?」
「そういうコト」に結局はなるのだろうと予想はしていたものの、まさかの展開にカガリはまだ心の準備が出来ていない。
アスランに抱きかかえられたまま、ジタバタと儚い抵抗を試みる。
そして、とにかく何かを言わなければ、と思い口を突いて出た言葉が、
「わ、私なんか食べたら、その後の美味い夕食が入らなくなるぞ!」
   自分でもワケのわからない事を言っていると思う。
「ああ、大丈夫だ。カガリはベツバラだから」
「はぁ?ベツバラ?!」
   何なんだ、その、「ベツバラ」ってのは。
「わ、私は甘いモノか!」
するとアスランは立ち止まってカガリの頭に手を延ばしてグイッと引寄せると、その唇を塞ぎ、こじ開けて侵入する。
「…ちょっ…ん…ってア、…アス…」
まだ可愛い抵抗をみせるカガリにお構い無く、ひとしきりその感触を楽しんだ後、ちゅっと音をたてて唇を離す。
そして、
「ホント、だ。凄く、甘い」
   コ、コイツは………。
カガリはどんどん墓穴を掘って行き、そして、アスランの前では何故か成す術もない。
「あーーー、もうっ!」
敢え無く、降参。
   男ってヤツは、どうしてこうも小ッ恥ずかしいセリフをポンポン言えるんだ?
そんなカガリの心中をよそに、アスランの足は容赦なく寝室へと向かう。
そして、ドアを開けるとパタン、と後手で閉めた。
そのドアが再び開かれるのは、数時間後の事になる。

   そして。本日2度目の夕食。
すっかり冷め切った食事をレンジで暖めながら、カガリは少し疲れた面持ちで溜息をつく。
「…だけど、普通、疲れてたら…1回…だよなあ…?」
自分が火に油を注いだとはまだ気付いていない。
シャワールームから、アスランの使う湯の音が聞こえていた。


<2004.12.31>
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