恋するアンドロイド / 8








陽射しが次第に強さを増して行く。
光の矢は射るように天から真っ直ぐに地を目掛けて降り下ろし、身体を貫いて行く。
もうどれほどのその矢で貫かれたのだろう。
そしてどれほどのその矢でまた貫かれるのだろう。
受けた筈の疵は見えない場所を侵し、その傷口が癒えぬ間にまた更なる疵を負って徐々に広がって行く。
広げた両手のその平に、また降り注ぐ矢は無数の穴を開けて透り過ぎる。
その穴から零れ落ちる光の筋が地面の上に作った日溜りが、そこに育つ命の揺り篭を揺らしている。

そんなふうに育てたもの。
そんなふうに育ったもの。
引き換えにした疵の代価はやがて体を浸食しそれを飲み込んで行くだろう。

そして――。
そして、そこには何が。
何が残ると言うのだろう。
遺るものなど何も無い、生命など持ち合わせてはいない自分が。

『何』を遺せると言うのだろう――?






カガリ、16歳、夏。






夏の朝は早い。
白い光が射し染めるその中で、花達は既にその光を求めて目覚めている。
そして眠る事の無い自分もまた、朝の光を求めるように自然と花園に足を向けていた。
もうずっと以前から自由になる時間はこの花園で過ごすようになっている。
ヒトの為に作られヒトの為に咲きヒトの為に枯れ逝く花。
自分もまたその花の一つなのだと、いつの頃からだろう、そこに安らぎにも似た居場所を見出したのは。
色取り取りのその中に立つと、まるで無色透明な自分はいつしか一本の花になってその中にある。
風に揺れ光を受けて雨に打たれる。
膨らみ行く蕾の内に潜ませるのは淡くまだ見えない心の内。けれどその花は咲く事は無い。
代わりに咲いてあげましょうと花達は言う。
一杯に花弁を広げて咲きましょう、と。
ヒトの為に咲く花。
咲けない花。
明け染める白い光の下で、隠されるようにそれは融け入り混じり合う。
まるで同じ色に染まったように自分の身体の隅々までが花の色に包まれたような気がした。

「育ててみなさい」
辺りがすっかり明けきった光の色で満たされた頃、後ろで声がして振り返るといつの間にか庭師が立っていた。
いつから見ていたのだろう。
「自分で咲かせてみなさい」
柔和な顔に笑みを浮かべてそう言うと、庭の隅の小さな一角を指差した。
意味を量りかねてただ示された場所を見た。
「花は育てた者の心を映して咲く。お前の花を育ててみなさい」
思わぬ言葉に躊躇った。
咲けない筈の花が、自分の手で花を咲かせてみるなどと。
「いえ、でも私は――」
「愛しんでくれる者に咲かせて欲しいと思うんだ、花も」
その言葉に心の中で何かが揺らいだ。
「咲かせてみなさい」
再び目を細めて笑った。その目が、後ろの空にポッカリと浮かぶ白い三日月のようだと思った。

指された一角はまだ茶色い土が露のまま、咲かせるべき花を待っている真新しい場所だった。
カガリの部屋から見渡せる場所にそれはあった。
何よりも先にその事に気付いてしまったのはどうしてなのだろう。そう問う自分に、護衛として当然だと答える別の自分がいる。
常にカガリに関する事柄を優先するのは与えられたプログラムだと。
――それならば何故。
何故自分は当然であるべき行動に、こんなに理由を見つけようとしているのか。
与えられたプログラムを疑うなどと言う事は有り得る筈も無く、自分に何を確認していると言うのだろう。
今は主人不在であるその部屋の窓を眺めながらそう思った。
カガリは父親である屋敷の主人と数日前からバカンスに出掛けている。学校が夏季休暇に入り、時期を同じくして主人が仕事で赴く事になった先がこの国でも有数の高級リゾート地とあって、娘も共に連れて行く事にしたのだが、当のカガリは気乗りのしない様子だった。仕立てた数々のサマードレスをいそいそと荷物に詰め込むマーナの姿を壁に凭れたまま空ろな瞳で見ていた。
俺はその間の護衛の任務から外された。バカンス先での護衛は専門の人間(所謂プロだ)を雇うとの父親の言葉に、カガリが猛然と抗議したが、「お前もアスハ家の娘なら立場を弁えなさい」との一言で押し黙った。
世間の目を常に意識せねばならないと言うのはどれほどの自由を奪うのだろう。
この屋敷から出ると言う事は、カガリにとって自由を剥奪される事に等しいのだ。
それは恐らく、花園を後にする時の、あの守り慈しんでくれるものから離れなければならない哀しさに似ている、――そう思った。

種を蒔く。
湿気を含んだ茶色い土の上に小さな種を落として行く。
この小さな命の種が、自分の手によってやがては芽吹いて緑の葉を付ける。
生命というものから一番遠い場所にいる筈の自分が、それを育むなどと言う事が有ろうとは思いもしなかった。
やがてその葉は大きく成長し、しなやかに枝は伸びてその先にいつか蕾を付けるのだろう。蕾は時を待って静かに開いて行き、そして美しい花を咲かせるだろう。
『花は少女に似ている』
その時かつて思ったその言葉が思い起こされて、胸の内がザワリと鳴った。
目を上げれば灯りの消えたカガリの部屋が見える。
戻した視線の先の手の平の小さな種はまだ無垢な眠りの内に有る。花咲く頃にはどんな夢を見ているのだろう。
せめて幸せに咲くように。
そう思いながら種を落とした。

カガリのいない間は特にするべき仕事も無く、時々誰かに頼まれた仕事を終えると、また花園に戻った。
土の表面のあちらこちらに芽を出したばかりの緑色の小さな葉達に水を遣り、雑草を抜いて少しの肥料を蒔く。
その様子を見ていた庭師が「俺の跡を継がないか」と皺だらけの顔で笑った。
次々と芽吹いた種は驚く速さでその葉を広げそして伸ばして行く。
日に日に成長して行く生命というものが眩しかった。
時間の流れからまるで取り残されてしまった自分とは反対に、それは過ぎる時間を追うように生きている。
限り有る時間の中を生きようとするから尊く潔い。
それが生命というものか。
指先で触れると柔らかな若葉は応えようとするかのように小さく揺れ、纏った水滴がキラリと光った。
まだ何も知らないその無垢な一瞬の輝きに心が囚われる。
愛しいと思える気持ちとはこういうものなのか。
『愛しんでくれる者に咲かせて欲しいと思うんだ、花も』
庭師の言葉が思い出された。
『花を好きだと思う、綺麗だと思う、その心で充分だ。愛しむ気持ちはどれもみな同じだよ』




『カガリも花のようですね』




その時甦った言葉が、全ての動作を停止させた。
あの時自分の指に絡みついた白く小さな指は、この緑の葉のようにまだ幼なかった。
降る雨に濡れたまま預けて来た軋む小さな身体は、水滴に瞬く葉のようにまだ弱々しかった。
腕の中にスッポリと納まった仔犬のようにフワリとした感触は、芽を出したばかりの葉のように柔らかかった。
日に日にそれは眩しさを伴って成長し、いつの間にか蕾となり、そしてやがていつしか花開いた。




『でももう、花は咲いてしまったから――』




雨のように言葉が降る。
記憶回路から流れ出した言葉は動きを止めたままの身体の中を駆け巡って行く。




『恋と苦しみは同時にやって来る……なんて、まるで悲劇的だな』




「花、お前が植えたのか?」

突然の背後からの声に鈍く反応した。
有り得ない筈の場面に心のどこかが騒ぐのを覚えながら、停止していた身体をゆっくりと動かして振り返る。
淡い緑のサマードレスと鍔の広いラフィアの帽子が目に映った。
帽子の影には昔と変わらない淡い光を宿した宝石が輝いている。
注がれる静かな視線と、笑みを湛えた口元。
白い光の中で全てが幻のように思われた。
「何て顔、してるんだ?」
「確か来週の筈だったと――戻られるのは――」
「うん、先に帰って来たんだ。お父様にお願いして」
口元の笑みが緩やかに広がって行く。花の色が広がって行くように。
「それ、お前が植えたのか?」
「――はい」
「何の花?」
「秋桜と言う名の花だと教わりました」
「ああ、大好きな花だ、それ」
帽子を取った。夏の空に良く映える色の髪がサラサラと肩で音をたてて解けて行く。
「綺麗に咲くといいな、花」
また花のように微笑み、そして唐突に、言葉は告げられる。


「逢いたかったんだ、お前に」


貫く夏の陽射しの強さに、眩暈がした。




<06/11/11>

前へ / 続きは製作中