恋するアンドロイド / 序







ヒト型AFC-280816-660312タイプ、シリアルNO.213-954-3544オプショナルパーツ付きアンドロイド。
それが俺の名前だった。
『アスラン』と、彼女がそう呼ぶまでは。



「君はこの家に来て何年になるのかね?」
「7年になります」
「そうか、もうそんなに経つのだね。あの娘もあんなに成長するわけだ」
この屋敷の主人はそう言うと、目を細めて窓の外を見た。
間もなく初老を迎えようとしているこの主人には、善良と言う精神は宿ってはいたが、およそ繊細と呼べるほどの感受性は備わってはいなかった。(「感受性」などと言う言葉を、人間では無い俺が使うのも妙な話だが)
主人の視線の先には愛犬と戯れながら庭を駆け回る彼女の姿がある。
「あのお転婆振りは相変わらずだがな。全く困ったものだ」
そう言うと、主人は目尻に小皺を寄せてふと笑ってこちらを見たが、ああお前にはわからないか、という表情を作ると、また視線を窓の外に移す。
    わからない筈は無い。俺は貴方よりずっと長い時間を彼女の側で過ごして来たのだ。
そんな言葉を呑み込んで、俺は黙ったまま主人の側で窓の外を見る。
あの日、『アスラン』と呼んだ幼い姿が今も記憶回路にこびり付く。
何一つ、変わらない自分の姿とは相対するように成長し、背も足も腕もスラリと伸びて声も大人びた君が、『アスラン』と、呼ぶ表情だけは変わらない。
その名前で初めて呼ばれたのは小雪の舞う7年前のあの冬の日に、初めてこの屋敷に来た時だった。
主人の側にいた利発そうな目をしたまだ幼い少女が、「アスラン」と呼びかけた。取り付けられたばかりの情操回路がまだ機能していなかった俺は、無関心な目でその少女を見た。     情操回路。全てはそれが始まりだった。この家の主人が愛娘の護衛兼子守役にと買ったアンドロイドにオプションとして付け加えた機能。ただの人工生命体よりも、より人間らしい情操を持ち合わせたほうが娘の情操教育にも役立つと考えた結果だった。犬や猫よりも少しは上等とくらいにしか思っていなかったこの主人にもまるで思いもかけない奇跡が起ころうなどとは、いや、誰しもが思いもよらなかった、禁忌と言えるその感情を生み出そうとは。…機械が人間を    
「アスラン」
そう呼びかけながら小さな手でギュッと人工皮膚の冷たい手を握り締めた。
「お前は今日から『アスラン』だ」
そう言うと、利発そうな目を輝かせてにこりと笑った。
その笑顔が初めて見た、ヒトの笑顔だった。
それは今も鮮やかに、記憶回路に保存されている。「記憶」は分類されてファイルに保存されるが、しかし、その笑顔が保存されたファイルには未だ名前が無い。付けるべき名前が見つからず、付けるべき名前に躊躇っている。生まれた時に与えられたデータからは判別しようの無い不明瞭なその躊躇いが、何と呼ぶべき感情であるかを知った時、同時に知ったもう一つの感情がある。
「アスラン」
庭で手を振って呼び掛ける彼女の姿を見ながら思い出す。その両方の名前を教えたのが彼女自身である事を。
軽く合図を返してから応え返す。
「コートを羽織ったほうがいい。風邪をひきます」
「じゃあ、持ってきてくれ」
「わかりました」
年頃の少女には凡そ不似合いな、少し乱暴な口調は昔から変わらない。
主人がいる部屋を後にして、彼女のコートを持って庭へと向かうと、あの日と同じ小雪が舞い始めていた。犬とじゃれあう彼女の側に近付くと、後ろからコートを着せ掛けた。ふとその手を彼女の手が上から包み込む。冷たい人工皮膚に感じる暖かいその感触に、またあの日の記憶が蘇る。
「ありがとう、アスラン」
振り返り、微笑む表情もそのままに。
あの時まだ知らずにいた二つの感情を抱きながら答え返す。
「いいえ、カガリ」


             恋と苦しみは、同時にやって来るのだな


いつかそう呟いた、物憂げな彼女の横顔を、名前の無いファイルの中で思い出していた。


<05.08.28>

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