例えばこんな話秘書官の一人が休暇が欲しいと申し出た。 彼の勤務態度は日々真面目で申し分の無いものだったし、何より人柄が誠実で、今まで私事で休暇願いなど出した事の無い人物だったので、珍しいと思いながらも承諾した。けれど許可するにあたって、一応建前上の理由が必要だったので訳を彼に尋ねたところ、『好きな娘に会いに行く』との旨を頭を掻きながら説明した。ほう、堅物の彼にもそんな相手がいたのか、と意外に思って聞いていると、『実はその日は自分の誕生日で、そしてまた彼女の命日でもあるんです』と彼は語った。 ――自分の誕生日が彼女の命日なので、その日は彼女の側でずっと過ごす事にしているのです。彼女がまだ生きていた頃にずっとそうしていたように、一日彼女の側で彼女と一緒にいると約束をしているのです、とまるで彼女がまだ生きているかのように、照れ臭そうに頭を掻きながら話した。その仕草に、私はただ『そうか』としか言葉を返せなかった。他にどんな言葉が返せただろう。彼のその表情は紛れも無い、まるで幸せそうな顔だったのだ。 休暇を許可する事を改めて告げると、彼は嬉しそうに『有難うございます』と何度も頭を下げて部屋を退出して行った。紅潮した頬に瞳を輝かせながら。 その姿が一人残された書斎で妙に頭から離れず、思わず椅子に深く凭れて物思う。 ――自分の誕生日が恋人の命日だなんて――そんな無情な事があるだろうか……と。 「なあ…もしお前の誕生日が私の命日になったら、どうする?」 目の前のソファで先程からスケジュール帳に一心にペンを走らせている姿にそう問いかけると、ふとその手が止まって目を上げた。額にパラリと掛かった髪が天井から顔を照らす光りを遮って、そこにいくつかの影を作っている。 質問の意味に暫く目を瞬いてこちらを見ていたが、いきなり何を、と言うように肩を竦めると、 「有り得ない」 とひとこと言った。 そしてそれからまた付け加えるように口を開き、自分より先に代表が命を落とすような事があれば自分の存在理由が無いし、何より自分の目の黒いうちはそんな事は起こらないし起こさせない。馬鹿げた質問だ、と言うと無表情にまた視線をスケジュール帳に戻した。そして先程から書き込んでいたページに目を落として暫くそこを見ていたが、ペンは動く事を忘れたかのように紙の上で止まっている。 やがて低い声が彼の唇から漏れた。 ――あまり縁起でも無い事を言うな、と。 前髪が作った影が色濃く目の辺りを覆い、その表情をひた隠しにしている。 けれども彼の心中はその声音でわかっている。 「すまない」 そう失笑しつつも、けれど私は考えていた。 考えてしまったのだ。 もしも、彼の誕生日が私の命日になったのなら―― 彼は毎年一つ歳を重ねる度に私を深くその心に焼き付けるだろう。思い出が美しい彩りになる程に私を忘れられなくなるだろう。一つずつ一つずつその心に刻んで行くのだ。例えいつの日か誰かと誕生日を迎える時が来たとしても彼は必ずその日一人で私と向かい合う。決して忘れることの出来ない永遠に心に棲む私に彼はその日独占されるのだ。 それは至上の愛とは言えまいか。決して忘れ去られる事の無い愛。彼がこの世を去るその日まで、一生涯その齢と共に重ね続けられる愛。――永遠の、愛。 「何か――あったのか?」 声がして我に返ると、スケジュール帳を膝の上に置いてペンをそこに置き、こちらを見つめている瞳に行き逢った。その瞳には心配気な色がありありと表れている。 「ああ――いや何でも無い」 考えてみればそんな顔をされて当たり前の事を言っているのだと気が付いた。いきなり「誕生日が命日になったら」などと物騒な事を言えば、心配するのは当然ではないか。しかも自分の立場が立場だ。何かあったと勘ぐられるのは然るべきだ。何より彼は、彼は――。恐らく自分の誕生日が私の命日になったとしたら最も耐えられない人間ではないか。そう考えただけで手の動きが止まってしまうほど耐えられない人間ではないか。 迂闊に事を考えた事を悔いた。 『馬鹿げた質問だ』と言った彼の心中を思った。 「すまない」 その言葉をまた口にしてから、思った。 ――私は生きているのだ 生きて、いまこうして言葉を交わして目を見交わして側にいる。 思い出では無く生きて彼の心の中に棲み、恐らくその日々を独占しているのだ。 例えそれが永遠の約束事ではなくとも。至上の愛ではなくとも。 ――生きている いやそれが何より至上の愛ではないか―― 「おめでとう」と声で伝えられる。触れられる。分かち合える。それが至上の愛でなくてなんだと言うのか。 「本当に何でも無いのか?」 そう重ねて尚心配そうに問う彼を見ながら、そして声を聞きながら、それが酷く幸福な事に思えた。 これは思い出ではなく現実。温もりのある現実だ。 ――生きている それを体中で感じながら私は彼に尋ねたいと思った。 いささかこの緊張した空気の中でそれは場違いな質問だと知りながら。 それでもそれを口に出来る事が幸せだと思ってしまったから、聞かずにはいられなくなった。 「お前、誕生日に何が欲しい?なあ、アスラン――」 その間の抜けた空気を無視した質問に、彼は予想通り目を丸くして絶句した。 そして暫くして肩からガックリと力が抜けたように脱力するとこう言った。 『別に何もいらないから今後寿命が縮まるような事を言うのはやめにしてくれ。でないと、カガリの誕生日が俺の命日になるかもしれないぞ』 ――と。 <07/10/20> 涙が出るほど久々に、空白の二年間を思い出して書いた、まだ夢見ていた頃の二人…ああショッパイ… |