螺  線







細く射るような直線を保ちながら、上空から地表に向かって次々と身を投じるように落下する幾多の雨粒の、ここからでは見る事の叶わない砕け散る珠の最期の凝縮された命の瞬きを、ゆっくりと脳裡に何度も繰り返すように思い描きながら、カガリはホテルの一室の、外を見下ろせる窓辺に寄り掛かって、物思いに沈むかのような焦点の定まらない視線を、灰色に沈む街に向かって投げかけている。
「残念だったな。外に出掛けられなくて。」
そんな姿をどう受け取ったのか、ソファに腰掛けて開いた本の文字に視線を落としながら、アスランは言う。
雨の週末になった。
偶の休みにと、予約したホテルの部屋。その限られた時間と空間で仕切られた小さな箱の中でのみ、肩書きや関係性や何の障害からも隔離された、ただの二人としての、ただの人としての、…そしてただごく普通の恋人としての、何の変哲も無い、有り触れた、当たり前の、淡い色味を帯びてやや鼻腔を衝く甘い香の入り混じったような、そんなごく短い一時が与えられる。

「残念だったな。」

そんな一言がアスランの口から発せられた時、カガリは少し黙ってから、
「いや…。」
とごく短い答えを返した。
強さを増した雨の、林立する線に掻き消された街。
その街と部屋とを隔てる薄いガラス板の、表面に映ったアスランの姿をカガリはさっきから見ている。


        知らないのだ

自分が今何を考えているのか、何を願い望んでいるのか、知りもしないからそんな悠長な科白を吐けるのだ。

        もっと降り続ければいい

ドロドロとした、絡みつくような、まるで束縛的なじっとりとした湿気を含んだ空気が、自分の周りに螺線を描くように取り巻いて存在しているなどという事をすら、まだ知らないでいるのだ。

        雨の檻がこのままいっそ閉じ込めてくれればいい

そんな愚かな想いを、一体誰が知ろう?

崩れだした気持ちを止められるものはここには無い。
この小さな空間に、放り出された想いをただただ増長させるものしかここには存在しはしない。
やがて、それはそのうちに部屋の中に充満し、全てを窒息させるだろう。

空が裂けた。
光の蝕指が天から降りて来るのが見えた瞬間に、目の前でパシリという鋭い音と共に何かが弾け跳んだ。
響き渡る震える雷鳴。
轟き渡る轟音。
その刹那、カガリの中の何かが反転した。
……それがずっと待ち続けた合図であったかのように。

明滅する灰色の街に背を向け、閃光を後ろに浴びながら、カガリは窓辺を離れてアスランに近付いていく。
読んでいた本を奪うように取り上げると、ベッドの上に放り投げる。
そしてアスランの空いた両腕の中に、混沌とした螺線の中心に向かって身を投げると、首に精一杯の強さでしがみ付いた。

まるで子供だ、と嗤うだろうか?
こんな拙い表現でしか伝えられない自分を。
素直で愛らしい、体を摺り寄せるような甘え方など知りもしない自分を。
…嗤うだろうか?

そんなカガリに、思わぬ優しさで差し延べられた両方の手。
まるで始めから用意されていた場所のように、待っていたかのように伸ばされた腕。
それは螺線を描くように、カガリに絡みついた。
予想だにしない強さに、思わず虚を衝かれた。




「私が何を考えていたか、知っているか?」
「…カガリは俺が何を考えていたか、知っているか?」


開かれた本は、ベッドの上。


それはずっと、同じページが開かれたままだったのに       


<2005.07.10>