帰 郷朝の透き通る空気に仄かに色を付けるように光が降りてくる。 それは薄い布にドレープを付けて仕立てたドレスの裾のように、天から舞い降りている。いつもその光景を目にする度に、緩いドレープの入ったドレスを纏った金色の髪の少女の姿をアスランは思わず連想する。不思議だ、と思う。寧ろ彼女のイメージというのはそういったものから遠い筈なのに、何故この景色を見るといつもそんな姿を連想してしまうのだろう。 アスハ邸の敷地内には庭園から繋がる緑豊かな森があって、人工的に計算され配置された美しい庭園から続く小路を行くと、自然と森へと足を踏み入れるようになっている。その庭から森へと続く景色の流れがまた見事に計算されていて、その小路を行く者の心を人工美から自然美へと抵抗無く その景色の中にあって、朝の光が天からゆっくりと舞い降りてくる様を、その屋敷の主の纏うドレスのようだ、と連想する自分も、やはりこの屋敷に魅入られた人間なのだろうかと思う。そう思ってから、果たして魅入られたのは、屋敷なのかそれともその屋敷の主なのか、と思って少しばかり苦笑した。 早朝、その小路を散歩がてらぼんやりと歩くのがいつの間にか日課になった。 朝の澄んだ空気が肌にひんやりと心地が良く、靄が掛かったような気持ちもその冷めた空気で幾分楽になる。毎朝自分を律する為の儀式のようにそれはいつしか欠かせないものになった。 小路は苔むした緑の木々のアーチの中を行き、しばらく幾度かくねくねと折れ曲がった後、突然拓けた場所に出た。藍色の水を湛えた小さな泉がそこにあって、囲む緑の木々の蔭でそれは静かに見開かれた瞳のように澄んで波一つ無い。その光景を見る為にこの日課を欠かさないようなものなのだ。その ふと後ろに人の気配を感じて振り返った。 緩やかに微笑む少女の、泉の佇まいを思わせる静かに見開かれた瞳がそっと向けられていた。ほっそりとした臙脂色の服に、木の葉の陰が薄い模様を落としている。 「ここ、な」 穏やかに吹く翠の風のようにその声はアスランの耳に届いた。 「小さい頃、よくお父様と散歩したんだ、二人で」 そして少女――現在の屋敷の主である彼女は、アスランの横を摺りぬけて『聖域』に踏み入った。その細い身体の輪郭線が、藍色の水面に映り込む。 「だから――来るのが辛かった、ずっと」 その後姿を見ながら、ああ、とアスランは思った。 受け入れている、その景色が、そこにある光が、そして空気が。待っていた主が戻ったように、そこにあるものが揺らぎの無い世界からたゆとう世界へと流れ始めていた。水面に小さな波が立った。 「そうか」 そう小さな声でアスランは呟く。 それは実は返答の言葉では無く、一人納得がいった故の言葉だった。 時が止まっていた空間に、やっとそこにあるべき姿が戻ったのだ。それは以前のように父と子の姿では無いけれど。そしてドレスの似合う少女に成長していたけれど。溶け込む様にまるで全てが迎え入れているではないか。 「ここへ来ないか?」 振り返って 「――」 無言でその藍色の水に映る自分の輪郭を眺めていると、不思議な感動とも言える心地がどこからか湧き上がる。何だろう、これは?焦がれていた世界に自分と言う輪郭を見出すことの出来たそんな幸福とでも言ってしまえる、この妙な感慨は? 泣きたくなるような切なさは? 「どうしたんだ?」 あまりに無言のままで食い入る様に水面を見つめているアスランを不思議に思った主がそっと問いかける。 「何か、見えるのか?」 その問いに、ふいに顔を上げたアスランの瞳がカガリに向けられる。それは緩やかに微笑へと変わって行く。 「――見えるんだ」 その言葉の後に続く沢山の言葉を、大切に仕舞うようにアスランは伝えなかった。 今ここで言ってしまうと消えてしまいそうで、言えなかった。そして本当は伝える言葉さえ見つからなかった。 その代わり――と言ってはあまりに拙い行動だったが、手を差し出してカガリの手を取った。そしてそのまま手を繋いだ。その行動に声には出さなかったけれど、もの問いたげなカガリの瞳にアスランは答える。 「屋敷から見えないところまで」 そう言うと、翠の風が吹いて来てサワリと揺れる木々と漣の立つ水面の景色を後にして、手を引いたアスランは歩き始める。繋いだ手がその水面に描き出した輪郭の美しさを彼は知らない。 その森の主を連れて戻った誇らしげな物語の主人公のように、アスランの胸には小さな幸福が灯って、いつも胸を占めていた靄が遠くの沖合いに退いて雲間から薄日が差したように、清々しい心地が訪れた。 木々の間から見える空には緩い光のドレープが、ふわりと森を覆うように降り始めようとしていた。 <06/12/10> 何なんでしょう一体… |