祈りの場所「ああ、ここは…。」 そこが祈りの場所なのだ、と言う事に少年は漸く気が付いた。 そこに足を踏み入れた瞬間に、その侵し難い静寂さと言うものが、少年の心に無意識のうちに罪を施しているような、一瞬の躊躇と畏れを抱かせた。 薄暗いその限られた空間に、壁に作られた数箇所の小さな飾り窓からもたらされる僅かな隙間しか照らし出さないその明かりと、天上に設けられた、その場所特有の形を持つ天窓から差し込む照明だけが、存在を許された光として静寂に その微かな光を通り越して向こう側に見える、仄かな照明に照らし出された質素で小さな作りの祭壇と、その両脇の柱に添え付けられた二体の白い聖像の際立った深い陰影部が、あたかもそこが不可侵で、清浄な贖いの場であると言う事を、そこへ踏み入れた者 少年は躊躇の後ややあってから、惹かれるように祭壇の方へ向けて歩を踏み出した。 一歩ごとに、カツン、カツン、と響き渡る靴音が、その広いとは言えない空間のあちらこちらに木霊して、それが静寂をより一層深く濃い世界へと誘っている事に、彼は気付いていない。 誰もいないその静謐の場に少年は一人、歩を進める。 祭壇の前のやや広くなっている空間に、天窓から投げ掛けられた弱い光が円を描き、まるでそこに設えた舞台でもあるかのように、導かれるように歩いて行く。 その微かな光の聖地に足を踏み入れると、薄闇の中に今までぼんやりとしか映っていなかったその空間の様子が、薄い光のカーテンを通して朧気に現れ始めた。 不思議な感慨に囚われて、少年は思わず息を止める。今光の中にいる自分が、特別な庇護でも受けているかのような言いようの無い深い想いに囚われた。 その時、天窓の一つから柔らかな一条の光の筋が射して来たかと思うと、少年の立っている空間の辺りを静かにそして鮮やかに照らし出した。天上の光は降り注ぐ雨のように少年の頭上から優しく包み込んだ。 声がしたような気がして、少年はハッと頭上を見上げた。 そこには闇を裂くような清冽な光だけが存在し、それは見る者の心を真摯で清廉な想いで打ちのめした。 声がした。そして、その声がどこからのものであるのかに気付くと、少年は暫く頭上を見上げ、やがて頭を垂れると静かに目を閉じた。 ゆっくりと、光は時と共にそこに降臨する。 漸く瞼を開いた少年は、清浄の光が照らし出す世界を振り返った。 先程から懐かしい面影を見たような思いがして、その前に歩いていくと立ち止まってそれを見上げた。 それは柔らかな光の眼差しを受けて、優しく慈愛に満ち溢れ、全てを甘受する微笑を浮かべている。 祭壇の脇に置かれた聖母子像の、その前で少年は佇んだ。 「………母さん。」 カツン、カツン、と靴音が響いた。 「ああ、こんなところに。」 薄闇の中からそれを拭い去るような少女の凛とした声がして、少年は振り返った。 声の主がやがて光の輪の中に現れた時、それはまるで光の衣を纏っているような錯覚に陥る程、光の寵愛を受けているように見えた。眩い色の髪がいつにも増して優しい輝きを放っている。 そこだけが冬の終わりを告げ、春の訪れを迎えた場所のような優しい光に満ちていた。 「どこへ行ったのかと……どうかしたか?」 「……うん。」 そう答えると少年は、光の中の少女に近付いた。 そして、肩に手を掛けると、反対側の肩に顔を埋めた。 「……お前…。」 泣いているのかと、そう少女は問おうとしたが続く言葉を呑み込んで、代わりに少年の頭に手を遣ると、黙ってゆっくりとその髪を撫で始めた。そしてもう片方の手を背に回して軽くトン、トン、と叩くと、少年の少女の肩を掴む手に僅かに力が加えられ、また少女は背を摩ってやる。 そうしてやりながら、少年が先程見ていたものに、少女も目を遣っていた。 そしてゆっくりと少年に頬ずると、両手でその体を優しく抱き締めた。 少年の体が、微かに 頭上から射し込む光がまた次第に細くなり、薄闇と静寂が訪れたが、その場所だけは、光は、失われはしなかった。 <05/11/05> |