「蕭条の館 第五幕 変調」その後話 ―


「久々の遠乗りでお疲れになったでしょう」
そう言いながら老いた執事はカップに注いだ熱いお茶を持って主人の側へと近付いた。
まだ若い主人は上着を脱いだ姿でソファに深く身を沈め、手に持った何かを先程から一心に見つめている。
近付いた執事はおや、と思った。
「お珍しい。何と言う花でしょうか」
「――さあ、な」
主人が手にした一輪の可憐な白い花を見ながら執事はカップを脇のテーブルの上に置いた。
この主人が花などに興味を示すのは、彼を幼少の頃からよく知るその執事の記憶には、かつて無い事だった。
「珍しい、と言うのはどっちだ?」
「は?」
「俺か、花か」
執事が花から主人に視線を移すと、変わらず花を見たままの薄く笑った顔がそこにあった。
「…両方でございます」
屈託の無い微笑で執事は答える。
その返答に、主人は初めて視線を上げてつと執事を見、今度は片方の口角だけを上げて笑った。先代の時代からこの家の執事を務めるこの男は、時としてその若い主人にも遠慮が無い。
「随分熱心にご覧になっていらっしゃいましたが」
「――この種の花はこの屋敷の庭にも根付くものなのかと思ってな」
「さあ如何でございましょうか……私は花や木にはまるで明るくないものですから……。ああ、庭師のジェームズに聞いてみましょう――お植えになるので?」
「――」
それには主人は答えず、指で白い花を弄んだ後、その花弁で自らの唇を弄った。微かに触れる程度に、その輪郭を辿って行く。
「……野の花は野にしか生きられない」
微笑を浮かべ、尚弄り続ける。
「――などと言ったのでは無かったか?」
嘲笑するようにクスリとそう呟いた主人に、執事は不思議そうな顔を向ける。
「何でございましょう、坊ちゃま?」
「――いや。何でも無い」
花弁を弄るのを止めると、若き主人はテーブルの上のお茶の入ったカップに手を伸ばした。
「ところでアーサー」
「はい?」
「その、『坊ちゃま』はよせ、と言っているだろう」
「あ、そうでございました。申し訳ございません、坊ちゃま――」
「……」

その屋敷の庭にその後可憐な白い野の花の咲く姿があったのかどうかは誰も知らない。