初めに、神は天地を創造された。地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた。 神は言われた。 「光あれ」 こうして光があった。神は光を見て、良しとされた。神は光と闇を分け、光を昼と呼び、闇を夜と呼ばれた。 夕べがあり、朝があった。 第一日の日である。 (旧約聖書) 恋するアンドロイド 番外編 xmas version今夜は人間達が「聖夜」と呼ぶ、特別な夜だった。 神の子が生まれた日 普段はひっそりと静まり返っているこの屋敷も、この日ばかりは毎年主人が愛娘の為にと多くの客を招いての賑やかな宴が催され、そして今年もまた、その夜が訪れようとしていた。 朝から激しく舞っていた雪が夜になっても降り止まず、それでも陽が沈む頃には次第に客が集い始め、年に数える程しか使われない大ホールは、やがて煌びやかなシャンデリアの光と賑やかな音楽と人々の笑い声と贅を凝らした料理の匂いで一杯に満たされて行った。外気の凍るような寒さとは対照的に屋敷の内は光と人々の熱気で溢れ、酒気を帯びた空気はより一層人々の心の枷を外して自由で奔放な行為へと駆り立てた。 人間達が愉しむ為の今夜は特に与えられた仕事も無く、寧ろどちらかと言うと用無しと言った感じで階下のテラスに面した窓の側に凭れて降りしきる雪を眺めていた。明るい階上とは違って階下は光も弱く、誰もいない廊下は静まり返って深閑としている。時折階上の賑わう声や音楽が漏れ聞こえては、長い廊下の薄暗い闇の果てへと吸い込まれるように消えて行った。まるでそこが全てを吸い込むこの世の果てでもあるかのように。 「あー、ア、ス、ラーン!」 ふいに弾けた声が頭上から降って来て見上げると、階段の上で手摺に片手を掛け、そこから落ちんばかりにこちらに身を乗り出しているカガリがいる。 「見ーっけ!」 そう言うと手摺からゆらりと離れ、フラつく足取りで階段を降り始めた。片手にグレーのフワリとしたストールを持ち、空いた方の手で手摺を掴みながら、一段ずつ足を踏み出す度に体の線を誇張する緋色のノースリーブの長いドレスの裾が揺らめく光沢を放ち、滑らかな布地がまるで生き物のようにその足に纏わり付いたかと思うと、耐え切れなくなったようにまた肌を滑って落ちて行き、また纏わり付いては落ちる、という一連の動作を繰り返して、時折その一歩が横に逸れては光沢が大きく揺れ、その度に手摺に縋ったりしながら何とか踏み外す事は無く無事に下まで降りて来た。 「こーんな、ところにぃ。」 そう言ってフラフラと近付いて来ると、おもむろにこちらに片手を伸ばし、俺の体と腕の隙間に手を差し入れて壁に手をついた。そして体を摺り寄せて顔を近付ける。 「アスランからの、プレゼントは無いのかなぁ。」 酒気に火照った頬から首が薄桃色に染まり、目が仄かに赤く潤んでいる。そう強くも無い癖に、またかなり飲んだようだ。 「ご所望とあれば何なりと。」 冷静に微笑して答えれば 「じゃあ、お前が考えてくれ。」 と先程まで笑っていた瞳が急に醒めたようにスッと静まり返り、真っ直ぐにこちらを見つめている。 「私が何を欲しいのかを。」 奥に隠されている筈の、瞳の語る真実が今宵の深淵の闇の元に明白に曝け出そうとしていた。 聖夜と言う名の魔力が今ここに、余りに際どい危うさを以って存在しているようだった。 「それは出来ません。」 瞳を受け流すと、そうやんわりと微笑んで見せた。もうこんな嘘で塗り固めた作り笑いも今では難なく演じる事が出来る。 「自ら考えて何かを差し上げるのは、生存上それが貴女にとって必要不可欠だと判断された時、と限られています。」 「……もういい。」 聞き終わらないうちにそう言葉を吐くと、ふいと体を離して向こうを向き、4、5歩歩いてピタリと立ち止まった。 「…お前も少しくらい酔えばいいのに。」 そう言って振り向くと、小憎らしいとでも言うように軽く睨んだ。 「私は飲めませんから。」 微笑してそう答えると、彼女は黙り込み、暫く俯いていたがやがて横を向くと言った。 「…お前は何かに酔った事は無いのか?」 その言葉に、一度受け流した筈の魔力が、突然またここに忍び寄ろうとしていた。そしてそれは彼女にでは無く、有ろう事か自分自身に向かって来るのを感じながら、何故かどうにも抗えなくなっていた。 魔が、差したとしか思えない。 「何か…?」 そう答え返すと、目を細めて少し首を傾げ、俺は微笑んで見せた。 「……例えば…?」 幼子に聞くような優しい声音でそう問うと、ハッと顔を上げた彼女と視線がぶつかった。 「……例えば…。」 そう言い掛けると、そのまま言葉を失ったようにカガリは静止した。 暫く沈黙がその場を支配し、視線は凍り付いたように双方の間で微動だにせず、窓の外の風鳴りだけが時折大きく響いた。カガリが漸く口を開こうとした時、突然階上から誰かの高笑いが響き渡り、それはまた先程と同じように廊下の果ての闇の中へと吸い込まれて行った。 開きかけた口を持て余したように彼女は視線を逸らせると、やがてキュッと口を引き結び、俯いたままつかつかとまた近付いて来ると、片手に持ったストールの中から何かを取り出してそれをまるで投げるように俺の胸に押し付けた。 「メリー・クリスマス!」 そして怒ったような乱暴な口調でそう言うと、踵を返して階段の方へ向かって足早に歩き始めた。 胸元に押し付けられたのは包装された小さな箱で、上に緑のリボンで出来た小さな花が添えられていた。 手の中の箱を暫く見つめていたが、階段を上りかけているカガリに向かい、 「メリー・クリスマス。」 と言うと、振り返って思い切りべっと舌を出して見せた。まるで拗ねた子供のようなその仕草に、先程までの緊迫した空気が和んで思わず苦笑する。降りた時とはまるで別人のようなしっかりとした足取りでそのまま階段を上って行った。 彼女の姿が階上に消え、また静寂が訪れると、壁に凭れたまま窓の外の猛ったような吹雪に視線を向ける。 風鳴りと吹き付ける雪と夜の闇。 それらは波立った心をゆっくりと静かに元に戻して行ってくれる。 けれど…。 「…………少し、酔ったかな。」 手の中の箱を感じ取りながら、先程の自分は何をしようとしたのか、何をさせようとしたのか、そう思って目を閉じた。 今宵は聖夜。 人間達はこぞって酔い痴れる。 ならば…自分も少しくらい酔っても構わないだろうか。 『……例えば…?』 『……例えば、儘ならぬこの想いに…。』 <05/12/18> ※カガリが16か17才くらいの頃のお話です |