web拍手過去ログ 06/10/09〜06/11/23



etude〜エチュード〜/ロマンチシズムとリアリズムの行方





肌に触れる空気の乾いた快さに、季節の移り変わりを知った。
慌しい日常の中で飛ぶ様にして過ぎていく時間を振り返る暇も無く、ふと気付くと肌に当たる風がいつの間にか澄んだ色を思わせる快さを含んでいた。
また一つの季節が巡って行く。
カフェのガラス張りの窓から見える少し黄色味を帯びた街路樹が、唯一街の季節の移り変わりを告げている。
その主張でさえも通り過ぎる人々のどれくらいの瞳に届いているのだろうかと考えていると声がした。
「何、仕事の事?」
目の前でカップを手にして彼女が尋ねている。
暫く黙り込んでしまった事を仕事の事でも考えていると思ったのだろう、窓ガラスに映った自分の顔がいつもの癖で、深刻な面持ちになっていた事に苦笑する。
「いや」
そう言ってカップを持ち上げる。
「季節が変わったなと思って」
「――」
カップを手にしたまま、彼女は暫く俺の顔を見つめ、そしてそれをソーサーに戻す。
「そうね」
そうして彼女も窓の外に目を遣った。
業界の定例会議に互いに出席したその帰りに、こうして僅かな時間一緒にカフェに立ち寄るのもいつしか恒例になっていた。
偶然とは言え、同じ業界の競合する会社にそれぞれ身を置いている所為で二人の関係を表立って露にする事は憚られて、故に彼女との事は会社の同僚も知らない。
仕事を続けて行く上で、互いに不利益になるような業界の話題は持ち込まない、踏み込まない、と言うのが俺達が付き合う上で決めたルールだった。
「差し詰めモンタギューとキャピュレットというところか」
「――何それ?」
唐突な台詞にキョトンとしたまま再びカップを持ち上げようとしていた彼女の手が止まる。
「いや、俺達が」
そう返すと暫く手を止めたままで見ていたが、やがてカップを持ち上げると一言「――似合わない」と冷めた口調で彼女はあっさり切り捨てて、珈琲を一口含む。
「それにあれって、悲恋でしょ?」
白いカップから離れた紅い唇の鮮やかさが目を惹いた。
「心配しないでよ。私は後追いなんて絶対にしやしないから」
艶かしく動いたその唇から、残酷な宣言がなされる。
「貴方の分までしっかりと長生きするわ」
不敵にジュリエットは嗤う。
「――え」
ならば謀とは露知らず毒を呷った正直者のロミオは?
早まって死の神との永久契約の証文に証印までしてしまった彼は?
ずっと来ない恋人を一人奥城(墓所)で待ち続けるのか――?
「でもね」
飲み干したカップに視線を落としながら彼女はそれをゆっくりとした動作でソーサーに戻した。
白い磁器の膚に残る、色鮮やかな紅い花。
「その前にまず選択肢を見極める事じゃないかしら」
ずっと待ち続けるロミオに手向けられた一輪の花のようにそれは咲く。
紅い。――紅い花。
もしも描いたのがシェイクスピアと言うまるでロマンチシズムの詰まった「彼」で無かったなら或いは――二人が、いや、ジュリエットが選択したのはもっと違う結末だったのではあるまいか――?
「そう思わない?」
言いながらつと細い指をカップの縁に沿って滑らかに動かす。忽ちにして花の姿は消え失せた。
手向けの紅い花――。
その花を散らした指先をまるで仇敵のように見つめている俺に「何?」と不思議そうに彼女が問う。
「――いや」
ジュリエットは彼が思うよりリアリストだ。多分――。

――シェイクスピア、彼の見た淡い夢が今少しわかったような気がした――




frailty, thy name is woman.
(弱き者、汝の名は女なり)



(06/10/09)