web拍手過去ログ 06/08/15〜06/10/09


etude〜エチュード〜
(祭りの夜U 川辺の花火)





夜空に飛んで咲く花。
一瞬の花は、それ故に美しい。
刹那の花故に美しいと人は言う。
けれど美しいと思うのはきっとその思い出なのであって、花の色や形を鮮明に記憶に留めている人はどのくらいいるのだろう。
空に舞い上がる火の蕾が弾けて大輪の花が咲く度に、人は感嘆の声を上げてその思い出を記憶する。
隣にいる誰かやそこにある風景や色や、語り合った言葉を伴って記憶の中に仕舞い込む。そしてそれはいつしかひとつの短い映画のように編まれて、やがて美しい物語になって行く。
赤い数匹の金魚と緑色の僅かな水草の入った小さなビニール袋を大事そうに手から提げた彼女が、夜空に咲く花に魅入られたように、隣に並んで空を見上げている。花が弾ける度に、瞬く光を浴びて明滅するその横顔が自分のすぐ側にあって、人波に押される度に幾度も腕にぶつかった。次第に多くなってきた見物客から庇う為に手を動かそうとしたその時に、ふいに手に柔らかい指の感触を覚えて、そしてそれがそっと指の一本一本に絡んで行くのを感じると同時に肩に思わぬ小さな重みがあって、それが彼女の凭せ掛けた頭による重みだと気付いた時には暫く息をする事を忘れた。絡んだ指の柔肌から伝わる湿り気が、夜気に乾きかけた手の平にまたしっとりとした潤いをもたらして行く。そしてそれはゆっくりと絡み返した指の間で、またそれによって隙間無く合わさった手の平の内で、篭った熱となってそこに留まった。
その間にも色採り鮮やかに、花達はその命を夜空に謳歌しては消えて逝く。
その下で穏やかに流れ行く川が、ただ静かに一瞬に咲く儚い命を映し出していた。
水に映った花は美しく、けれどそれ故にふと衝かれる物悲しさに、思わず胸が締め付けられた。
なんて時と言う命は儚いのだろうかと、ふと繋いだ手に力を籠めると、柔らかく反応が返された。
肩に感じた重みにそっと頬を寄せてみると、綺麗に結われた金色の髪から仄かに清々しい夏の香りがして、その心地の良さに目を閉じた。
締め付ける思いと、心地の良い香りの狭間で、このままこうして花火の爆ぜる音を聞きながら眠ってしまいたいとさえ願った。
その時触れた身体の部分から伝わって来る熱が、命そのものを伝えているように思えて、その確かさに訳もわからず泣きたいような衝動に突然襲われて、空に散る刹那の花が堪らなく愛おしいと思った。
伝わる温度が、堪らなく愛おしいと思えた。
繋いだ手を引いて、人の波を掻き分けた。
波間を泳ぐように、人垣の中を只管ひたすらに掻き分けて、ただ無言で手を引いたまま歩き続けた。
その後ろでは次々と、また花達が一瞬の命を散らしている。
漸く人波の果てまで辿り着くと、引いた手を更に強く掴んで、近くの細い路地へと足を踏み入れた。
高い壁の間に落ち込んだような僅かな空間の、その狭くて真っ暗な路地の中程まで来た時に、掴んだ手を手繰って有無を言わさず身体を引き寄せた。
帯が邪魔だと思ったけれど構わず帯ごと抱き寄せた。
その弾みで団扇が落ちてカラリと乾いた音を路地の奥の闇に響かせて行く。けれども金魚の入った袋の紐だけは、しっかりとその手に握られていた。
両腕の間で息衝く命は身動ぎも無く、また言葉も無い。
やがて背中にヒヤリとした冷たい感触を覚えて、それが服の背を強く握った彼女の手に握られたあの袋からもたらされたものだと気が付いた。
ピチャリ、と中で小さく跳ねる水音がした。

歓声と共に数多の花の爆ぜる轟音が響き渡り、細い路地の隙間から見える空に、最期の花達の命の咲き誇る饗宴が繰り広げられるその中で、ただ衝き動かされるままに互いに唇を合わせた。


生きている      


その体温が、触れた唇の与える熱から、そして背に回された手の温もりから、確かさを伴って身体の中に伝わった。


(06/08/15)