web拍手過去ログ 06/07/22〜06/08/15
etude〜エチュード〜/君と俺と風鈴と輝く雲の峰
(祭りの日の午後)
ブランチの後、彼女はベランダに面した窓ガラスを少し開けるとそこに座った。フローリングの床に短パンから伸びる素足をペタリと着けて壁に凭れ、窓の外へと目を遣っている。
ベランダではガラスで出来た風鈴が、チリンと風に揺られて涼しげな響きをたてていた。
透明なガラスに赤い色で金魚を描いたその風鈴は、昨日彼女が夜のうちに取り付けたものだった。
会社の帰りに立ち寄った店で、見掛けて気に入ったから、と言いながら軒先に吊るした。
女の子はそうやって殺風景な独り住まいの男の部屋を、いろんなものを持ち込んでは自分の色に染めて行くのだろうか、と思った。
こうして彼女がやって来る度に、まるでモノトーンだった自分の部屋が、柔らかな色彩と丸みのあるフレームとふわりと柔らかな感触のするもの達で次第に埋め立てられて行くのだろうか。
そして同時に二人で過ごした時間というものが、この部屋のあちらこちらに降り積もるように折り重なって行くのだ。
それは比例してこの部屋中に増え続ける。
そのうちにここは彼女の色と残像とで溢れる程一杯になるのかも知れない。
「カガリ」
彼女の名を呼んだ。
トクリ、と胸の辺りで音がした。
いつもは何となく「ねえ」とか「なあ」とかでお互い済ましてしまっている。
だから改めて名を呼ぶと、呼んだ方も呼ばれた方もビクリとして、トクリ、と心臓が音をたてる。
「何?」
壁に凭れて窓外に目を遣っていた彼女がこちらを向いた。サラリ、と白いTシャツの上を金色の髪が滑った。
「窓、開けてたらクーラー入れてる意味が無い」
そう言うと、彼女は膝を立ててフローリングとの間に三角形を作った。そしてまるで拗ねた子供のようにその膝に両手を乗せる。
「だって風鈴の音が聞きたいから」
「でもクーラーが勿体無い」
「じゃあ、切っちゃえば?」
そう言うや否や、彼女は窓を全開にしてしまった。
全く言い出したら聞かないところは昔から変わらない。
根負けし、しょうがないなと溜息を吐きながらクーラーのリモコンをオフにした。
途端に、高い濃度の湿気を含んだ熱い空気が窓から中へと流れ込み、それは部屋の冷えた空気を忽ちの内に丸呑みにした。
肌に纏わり付くような不快な空気が充満し、シャツの下の毛穴と言う毛穴から、今にも蒸れた玉の汗が噴き出そうになる。
堪らず、扇風機のスイッチをオンにした。
羽のカラカラと回転する音が響き、徐々にそこから送り出される救いの風に漸く纏わり付いた空気から解放されると、チリン、とガラスの触れ合う音がした。
「ねえ、こっちおいでよ。一緒に聞こう」
彼女の声が、カラカラと回る羽音と相まって聞こえて来る。どこか遠い場所から聞こえるように思われて、羽音の虜になったようにそこから抜け出せないでいた。
「アスラン」
君が名を呼んだ。
トクリ、と心臓の音がした。
同時にまたチリンと鳴った涼やかな響きに誘われて首を向けると、立てた膝に髪が触れんばかりに顔を傾げ、覗き込むように君が笑っている。
その君の戯れの笑顔と、その向こうに揺れる赤い金魚の風鈴と、そしてその遥か向こうに広がる青い夏空に浮かぶ真っ白い入道雲の輝く高い峰が、その夏の忘れ得ぬ思い出となって胸の中にこびり着いた。
息苦しい程の熱い空気に、眩暈を憶えた 夏。
(06/07/22)
|