web拍手過去ログ 06/07/09〜06/07/15


etude〜エチュード〜/星祭り





橋の上から見下ろす川面は生憎の曇った夜空を映して星も無い。
川辺に建ち並ぶビルの群れに灯った窓の仄白い光の一つ一つが、天上の星達の代わりに水面でゆらりゆらりと揺れながら瞬いている。現代の天の川はこんなにも無機質で温度を感じさせない光で一杯だと、今日一年振りに再会するのだろう二人に少し同情してみたりする。それでも、きっとそんな事は逢えない364日の想いに比べたら大した事では無いのかも知れない。例えどんな境遇であれ、「逢える」のだ。
逢えない事ほどの悲劇は無い。
「七夕だね」
隣で改めて彼女が口にした。
その視線の先には、どこかの催しで作られたのだろう七夕飾りを一杯に付けた笹が、川辺で時折吹く風に揺らされてサヤサヤと葉の擦れ合う音をたてている。色採り採りの短冊や飾りが、その揺れるのに合わせてクルクルと舞っていた。
街中の小さな流れに掛かる橋の上で、欄干に並んで凭れ、それを見ていた。
七夕だねと敢えて口にした彼女の口調が何を示すのかが判っているから、無言で返してそのままぼやけた灯の映る緩い川の流れを見つめていた。
互いに口には出さなくとも、今思い返している場面はきっと同じに違いない。
あの日も梅雨の曇った空だった。通りの広場で催されていたどこかの主宰の七夕祭りで、短冊に二人で一つの願い事を書いた。そしてそれぞれの名前を書いて一緒に笹の枝に結わえ付けた。そしたら急に、少しでも高い場所の方がきっと御利益があるなんて君が言い出したから、一度付けた短冊を解いて出来るだけ背伸びをしてまた高い場所に結んだ。
そうしたら今度は何だかやたらと目立ってしまって、周りの人の視線が気になったから、二人して逃げるようにそこを離れて後で一緒に笑い転げた。
一つの願い事を二人の名前で書いたから、きっとお釣りが来るほど御利益があると言って君は楽しそうだった。
けれど一緒に短冊を書いたのはその年が最後で、次の年からは願い事さえしなくなった。
一度解いてしまったせいなのか、願い事は聞き届けられはせず、それから暫くして俺達は逢わなくなった。
翌年七夕が来ても、また次の七夕が来ても、逢う事は無かった。
何度の七夕をそうやって過ごしたのだろう。
    私ね」
揺れる笹の葉と舞う短冊に目をやりながら彼女が口にした。
揺れる短冊の色が川面に映り込んで、無機質な天の川にせめてもの色を添えているようだと思った。
「社会人になって少しした頃に、付き合った人がいるの」
顎の下で指を組んだ彼女の横顔に目をやりながら、あの頃より随分と表情が大人びたと思った。
「でもね、…結局すぐ別れちゃった。…それも丁度今頃だったなって   
口の端に微笑を湛えて言ったその言葉に、心のどこかで鈍痛に似た痛みを覚えながら、彼女の言った「それも」と言う言葉の意味を考えていた。「一度目の別れと同じ季節」に、彼女はまた心に疵を作ったのだ、と。
「別れたのはね」
ポツリと言葉を紡いで、少し黙った。
     結局は心のどこかでいつも彼をあなたと比べてたんだって事に気付いたから。
微笑の消えた唇から漏れた言葉はサヤサヤと鳴る笹の音に掻き消されそうに小さく響いた。

緩やかな川面を赤や黄や青の色が遊ぶ。
それは時に交差し、入り混じり、流れの上に鮮やかな彩の帯を描き出す。
あの日書いた短冊は、何色だったろうか   
「また書いてみようか」
思わず口を衝いて出た。
「あの時の願い事   
長かった364日をそれぞれに過ごしていた。多分それは互いに必要な過程で必要な時間だった。
365日目の為の364日。
長かったけれど振り返ってみれば案外そうでは無いのかも知れない。
それは後になってみなければ判らないけれど。

隣で君が笑う。
あの頃よりずっと大人びた表情で笑う。
その笑顔に触れてみたくて近付いた。


その日何を願ったのかは、二人だけしか知らない     


(06/07/09)