web拍手過去ログ 06/06/25〜06/07/09


etude〜エチュード〜/初夏





初夏の陽の光は、真夏のそれよりも眩しく感じるのは何故だろう。
そして全てのものがその光の中で新鮮に映るのは、      どうしてなのだろう?

梅雨の晴れ間の休日、外に出ると久々の青空が目に沁みた。
昨日までの雨に濡れた地面や建物や花や木が、いつもより鮮やかに見えた。
そして、初夏の陽射しがやけに眩しかった。
そのまま駅へと向かい、電車に乗る。
電車に乗ってしばらく揺られながら外を見ると、いつもの見慣れた筈の景色が、何故か初めて見る街のように映る。
不思議だった。
毎日乗っている電車からの光景が、まるで別の街に見えるなんて一体どういう魔術に掛かったのだろう。
そんな事を考えているといつの間にか目的の駅に着いていて、危うく乗り過ごすところだった。
独り苦笑しながら電車を降りる。
休日の街は歓楽を求める人々で一杯に溢れていて、駅を出るのでさえ人波に呑まれ、押し戻されそうになり、まるで波打ち際でゴロゴロと波に遊ばれる漂着物のように浮遊しながらやっと出口まで辿り着く。
その頃にはちょっとしたダンジョンをクリアしたRPGの主人公のように、HPゲージが半分にまで減っていたりする。
全く大変だ、この休日の人間の大移動というものは。…と妙な事に関心しながら、駅の外へと出た。
また、青空が目に沁みる。
振り仰いだ空から降り注ぐ陽射しが、初夏の匂いを帯びて光と共に落ちてきた。
もう、夏はすぐそこだ、そう思った。

駅から歩くこと10分。
ビルの谷間の小さな公園、そこがずっと昔からの、彼女との待ち合わせ場所だった。
夏はビルの陰でひんやりと涼しくて、冬は風が遮られて凍えない。
それは彼女が見つけた小さな秘密の場所だった。…と言って実は、知る人ぞ知る、結構な人気の待ち合わせスポットだった、とは後から知った事で、その時彼女は少しがっかりしていたっけ。
でも結局そこはずっと変わらずに、待ち合わせの場所として愛用されていた。
そして今、その懐かしい場所へと再び足を向けている。
まだあの場所は変わらずにあるだろうか?
そんな期待と不安に少し鼓動が早くなり、目的の場所が見えた頃には次第に足の速度が遅くなった。
公園にある小さなベンチは、横に植えてある種類のわからない木の陰にあって、入り口に背を向ける方向で置かれている。いつも入り口に立つと、彼女は先に来てそのベンチで待っていた。
「だって、早く来ないと誰かに席を取られるから」
とよくわからない理屈で、ただそれだけの理由で。
ただの待ち合わせ場所なのに、席を取りにと早くやって来る彼女の行動を、いつも笑ったものだ。
それでも、入り口で彼女の後姿を見つけると、いつも何故かホッとした。
今またその場所に立っている。
そしてあのベンチを、初夏の陽射しの中で目を細めながら見つめた。
手に何かを掲げ持ち、懸命にそれを覗き込んでいる彼女の後姿があった。
あの頃と変わらない、けれどとても新鮮に思える風景が、そこにあった。
懐かしいのに初めて見る光景のようだ、と思った。
静かに近付いて木陰から覗き見ると、彼女は手に持ったコンパクトの鏡を睨み見てはまた、角度を変えて見る、をさっきから繰り返している。その表情の余りの懸命さに思わず耐え切れなくなって吹き出すと、
「あ!」
と振り返った彼女の顔が一瞬赤くなったかと思うと、「何よ!」と今度は拗ねた顔になった。
昔は「何だよ」だったのが、言葉遣いが変わった事で、流れた時間の長さを思わせた。
「前はそんな物見てなかったけどな」
「大人になったのよ、悪しからず」
そう気取りつつ、コンパクトを閉じる君の姿は初めて見る光景だった。
「映画、遅れるわよ」
と少しまだ膨れ面で言った彼女が、
「変わってないね、ここ」
そう言った時、初めて何も変わっていないその風景に気が付いた。
そして変わらない景色がやけに新鮮に思えたのは、恐らくは自分のせいだ、と、その時になってやっと気が付いた。


初夏の魔術の正体。
それは、きっと今、また恋をしている自分なのだ、と。


(06/06/25)