wed拍手過去ログ 05/06/21〜05/08/15


慕情



片付かない仕事の合間に、つと立ち上がると彼女は、窓際に行って外を見ていた。
外は既に夜更けて、真っ黒な海の底のような空間が広がるばかり。
雨だった。
「そう言えば、雨が降ると誰かが言っていたな。」
そう呟くと、額をガラスに当てて暫く黙った。
ガラスを伝う雫が、蛍光灯の灯りを受けてキラリと瞬くや否や、瞬時に次々と消えて行った。
生まれては消え行く珠の雫を見ながら、彼女は言った。
「この雨はずっとどこかに留まる事は無いんだな。」
その言葉に顔を上げて見ると、指で流れる雫を追いかけていた。
「川に、海に、地下に、そして空に、留まる事は無く、何度もその姿を変えて行くんだな。」
その言葉を聞きながら、また視線を手元の書類に戻す。
「変わらないものなど、無い。」
そう言いながら、右手に持ったペンを急いで走らせる。
サラサラと紙を滑るペンの音だけが響く。
何の返答も無い事にふと気付いて、ペンの動きを止める。と、視線が投げかけられている気がして、顔を上げてその先を辿った。
振り向いて微笑していた。
否、目だけで笑っていた。
「私には、ある。」
そう言った。
「ずっときっと変わらないものが。」
そう言って今度は本当に緩やかに微笑した。視線はずっとこちらに向けられたまま   


       どうしてあの時


今更ながらに思い出す。


       言えなかったのだろう


今ならわかる気がする。


        「俺もそうだ。」、と


あの時彼女が何を想っていたのか。

あの視線の先に何があったのか     


窓の外、基地にそぼ降る雨を見ながら、あの時の彼女を真似てガラスの雫を指で辿ってみる。
少しは同じ気持ちになれるだろうかと。
そしてガラスに額を当てる。

「この雨はずっとどこかに留まる事は無いんだな。」……


(2005.06.21)