<七夕企画>

■牽牛織女夫婦莫迦噺
 (音声のみアスカガ風味にて)







 最近は本当に便利になったものだと思う。
 昔は遠く離れてしまえば、どんなに願っても声を聞くこともその姿を見る事も叶わなかったものだ。だから逢える時を待ち望んで、その姿を心に思い描いたり、記憶の中から思い起こしたりして、自分を慰めていたものだった。辛うじてかささぎに頼んで文を送り届けてもらい、その返事が来るのを心待ちにして毎日仕事に励んでいた事もあった。二人の間を隔てる天の川がある限り、自由に逢う事は許されない。だから一年に一度逢える日が、どんなに待ち遠しかっただろうか。

 けれども最近の事情はちょっと違っている。
 『携帯電話』と言う便利なツールが出来たのだ。
 いつどこにいても、どんなに離れていても、相手の声を即座に聞くことが出来るし、『メール』と言う機能を使えばもうかささぎに運んでもらわなくても瞬時に文の交換が出来るようになったのだ。
 凄い世になったものだと思う。
 『Gフォン』と言うところが作った中継地点を通じて、たとえ天の川で隔てられてはいても、電波が入るエリア内であれば通信する事が可能だ。ツールの電波受信状態を示す3本の印が多く立っていればいるほどその受信状態は良い。だからその印が立つ場所に居さえすれば、いつでも相手と遣り取りが出来るのだ。
 昔から考えるとまるで夢のような道具だと思う。
 これでどんなに遠く離れていても、いつでも話したい時に話が出来るし、ちょっと口にし辛い事は『メール』で相手に伝えることが出来る。
 一年に一度の逢瀬を待たなくても声が聞けるのだ。伝えられるのだ。いつでも側にいるような気分になれるのだ。
 ああなんて素晴らしいのだろう、文明の利器と言うものは――。





「え、来られない…って?」
「うん、ごめん。ちょっと用事があって」
 携帯電話の向こうから織女の声がする。丁度一仕事を終えて休んでいる時に携帯が鳴ったのだ。
「用事って、でも明日は一年に一度の日じゃないか?」
「そうなんだけど、ちょっと行けそうに無いんだ」
 そう言う織女の声を、信じられない思いで俺は聞いていた。
「用事って、何?」
 目の前の草地で草を食んでいる牛達ののんびりとした姿を見ながら訊ねた。一年に一度の逢瀬よりも優先するその用事と言うものが、一体なんであるのか聞かずにはいられない。
「うん、――実はその日、バーゲンがあってさ」
「は……?」
 思わず聞き間違いかと思いながらマヌケな声を出した。
「カシオペアモールでその日限り、絹糸が半額なんだ」
 続く彼女の声が聞き間違いでは無いと言う、無情な現実を突きつけた。
「ほら、私って機織女だろう?絹糸が半額なんて、そう滅多に無い事なんだ。半額だぞ、半額――どんなに値引きしたって普段は3割引きがいいとこなのに、有り得ないだろ、こんなのって?だから、見逃すなんて手は絶対にないじゃないか――」
 熱弁をふるう彼女のその声を呆けた表情で聞きながら、取り落としそうになりかかっている携帯電話を漸くの思いで握りなおした。
「……へえ、そう…」
「そうなんだ。お前とはまた来年逢えるけど、こんなバーゲンはもう二度と無いかも知れないからな」
 確かにそうなのかも知れないけど――けど、俺よりもバーゲンの方が優先順位が上なの…か…?
「それにさ、最近携帯電話でいつも喋ってるから、何だか離れてる気がしないんだよな」
彼女の朗らかな声がそう響いた。
いやそれは俺もそう思うけど――でも、だからって、バーゲン…?
「ごめんな、行けなくて。また来年楽しみにしてるからさ!あ、電話するな、バーゲンから帰ったら!」
「……うん」
 ひとしきり喋った後、彼女は電話を切った。ツー、ツー、と言う会話終了の音を遠くに聞きながら、目に映るのんびりとした牛達の姿をただぼうっと見ていた俺は、やがてやっと手を下げて携帯電話を耳から離した。
「バーゲンでって……有り得ないだろフツー…」
 半額セールに負けた悔しさより何より、彼女に初めてキャンセルを喰らった事の方がショックが大きかった。
「――嫌いだ、文明の利器なんて」
 無機質に響いた彼女の声を思い出しながら、手の中の『文明の利器』を俺はずっと見つめていた。





 天の川の水面を眺めて、時々側にある小石を手に取ってそこに投げ入れながら、何度目かの溜息を吐いた。
 せっかく晴れたと言うのに彼女は今日やって来ないのだ。今頃カシオペアモールのバーゲン会場で、半額の絹糸をゲットすべく、懸命に頑張っている真っ最中だろう。
「女ってなんであんなにバーゲンに弱いんだ?!」
 仮にも俺たちは夫婦じゃないか。その一年に一度の日をバーゲンでって…?!
 まあもう夫婦になって何百年も経つんだから、そんな新鮮な雰囲気も無いと言えば無い、ように思う――。ここのところは逢っても他愛の無い世間話しかして無いし、その後「じゃあまた来年」て感じで、アッサリ別れてた…よな?
 ちょっとそろそろ問題だろうか。…ていうかバーゲンに負けてる時点で、もうかなりヤバイんじゃないだろうか…。
 頭の中をそんな思いがグルグル回り始めて、また座っている側の小石を掴んで天の川に投げ入れる。
 ポチャンと水の表面に小石が当たってたてた音がした時、続いてカサリ、と乾いたような何かの物音がした。始めは考えに没頭していて何の音か気にも留めなかったが、それが後ろからした事に気付いて、ふと振り返った。
 『カシオペアモール』と赤い字で書かれたポリ袋を両手に提げ、少し離れた場所に立ってこちらを見ている織女の姿があった。
「え――?」
 姿に俺が気付くのを待っていたように、彼女はゆっくりと側へやって来た。
「何で?」
 その声を聞きながら彼女は隣に座る。そして肩を竦めて緩やかに笑った。
「かささぎが来てさ――お前が淋しそうに一人で待ってるから、行ってやれって――」
「でも、バーゲンは?」
「うん、欲しかった色は、ほとんど買えたから――ホラ」
 そう言って彼女は両手に持ったポリ袋を示して笑って見せた。
「そうか、――良かったな」
「うん」
 そこで会話が途切れ、間を持て余した俺はまた小石を川に投げ入れた。
 一体何を話せばいいのかわからなくて、自分が今嬉しいのかどうかもよくわからなかった。
「――なんか、ごめんな」
 ぽつりと彼女がそう言った。袋を側に置き、膝を抱えて川の表面を見ていた。
「携帯電話なんて便利なものが出来てからさ、いつでも話が出来るようになっただろ?だから、ついいつでも側にいるような感じがしててさ。なんか、離れてるのを忘れちゃうんだよな」
「うん」
「でも、ほんとは違うんだよな」
 そう言うと、膝を抱えていた手をそっと動かして、さっきから小石を投げ入れていた俺の手に触れた。
「電話じゃこうして触れられないもんな」
 にこりと笑って手を握った。
 ――新鮮な雰囲気が無い、なんて誰が言ったんだ。
 変な動悸がし始めて、笑っている彼女の顔がとても可愛く見えた。
 ――って、手を握ったのは多分……200年くらい、ぶり……?
「なんか便利なのもいいけど、大切な事を忘れてるのかもしれないな、なんて思った」
「うん」
「こうやって肌の温度を感じながら話すのって、安心するよな」
 あ。
 久しく忘れていた感じがトクトクと甦る。200年、いや、250年、ぶり――?
「何だかさっきから『うん』ばっかりなんだけど」
「――うん」
 それを聞いた彼女が吹き出した。
 そして顔を近付けて、下からじっと覗き込む。困ったような顔をしている俺と目が合った。
「なあ、ひょっとして照れてるだろ?」
「――」
「ほんとは私もそうなんだ」
 そう言うと、うふふ、と笑う。
「でもさ、なんかこうしてると新婚だった頃を思い出すよなあ?」
「――うん」
 考えてみれば結婚後すぐに別れさせられたのだから、トータル的に一緒に居た時間はまだ少ない。――とすれば、もしかして今も新婚だと言えばそう言えるんじゃないか、なんてそう思った。
「――あのさ」
「うん?」
「思い出したついでに――」
「うん」
「ついでに――」
「うん」
 今度は彼女が『うん』ばかりを繰り返す。
「その、――どうかな、とか」
 250年も空白があったんだから、ダメで元々――そう思いながらつい言ってみた。
 言い換えれば、250年ぶりにそんな雰囲気が訪れたわけであって――。
 暫くキョトンとしたように見ていた彼女だったが、再びにこりと笑うと
「うん、いいよ」
 と初めて逢った頃のような笑顔を浮かべた。
 そして繋いだ手をキュッと握ると、耳元に顔を寄せて、『しよう?』――とそう囁いた。
 それだけでもう十分、空白は埋められたのだ、と思った。
 250年分、250日。――長かったのか短かったのか、それさえもよくわからない……。





 数週間経ったある日。
 電話があった。
「あのさ――」
 電話の向こうで彼女のいつもより少し気分の高揚した声がする。
「どうも私、妊娠したみたいなんだ」
「え、――嘘?!」
 なんかそんなタイミングだったみたいだ、と彼女は小さく笑った。
 今まで数百年の間、一年の内の一日に、そう上手くタイミングが合う筈も無く、正直もうずっと以前に諦めていた。
 それがなんと言うことだろう。
「だから、来年の7月7日にはお前、パパだな」
 パパ、と言う響きに漸く高揚を感じ始めて携帯電話を握る手が思わず汗ばむ。
 ――今まで随分時間がかかったけれど。
 汗で滑り落ちそうになった携帯電話を持ち直した。
「いいか、体には十分気をつけて――」
「うん、わかってる」
「無理は絶対にするんじゃないぞ?」
「うん、わかってるよ」
「それから、来年は『バーゲンだ』なんて言うのはもう絶対に無しだからな!」
「うん、わかってるって」
「いやその前に――」
 携帯電話をしっかりと握り締めた。
「生まれたら、まず、写メだ、写メ!毎日、いや毎時間でもいいから送るように!」
「うん、わかった」
 彼女が返事をしながら笑っている。
「どっちの世話も、大変そうだな――」




 ――ああやはり、なんて素晴らしいのだろう。

 文明の利器と言うものは――!





<08/07/06>

おそまつさまでした。
*「Gフォン」と言うのは、「銀河フォン」もしくは「Galaxy Phon」の略語です。最近は銀河系だけでは無く、各星系にそのエリアを拡大中。繋がりやすく、料金体系も顧客に合わせて細やかとあって、現在人気上昇中。CMキャラの銀河犬が今人気を集めています。


……莫迦ですみません。