願いの灯火 ―2周年記念小説―



漆黒の闇に浮かび上がるイルミネーション。
色取り取りの光に溢れた街中を行けば、美しいクリスマスディスプレーに彩られた店々の前で足を留めて覗き込むカップルや、楽しそうに語り合う親子、そして友人との話に花を咲かせて笑い合う人々の姿で賑わっている。それはどれも安らかな笑顔に満ちていて、今ある平和という幸福に心から安らぎを感じているようにアスランには見えた。
クリスマス・イヴの今夜、街路樹は色取り取りの光の花に縁取られて夜の闇に浮かび上がる。その下を、人々の笑顔が咲く様子を眺めながらゆっくりとアスランは歩いて行く。
傷痕はまだ決して消えた訳では無い。路地の裏手に影と共に潜むように、まだそこかしこに傷口を広げている。けれどもそれも日に日に時が経つにつれ、少しずつではあっても、確実に癒えつつはある。その証がそこにある人々の笑顔であり、そしてこの溢れる花束のようなイルミネーションの光だとアスランは思った。
ふと、かつてこの国に来た頃初めて迎えたクリスマスの事を思い出した。一度目の大戦が終結した後、行き場を失くしてこの国に追われるように来た自分はまだ16だった。何をどう背負って行けばいいのか、どう償って行けばいいのか、何一つ見えない未来に失望と絶望を抱きながら、答えの出ない闇の淵を彷徨い続けていた。時として負わされた宿命の重さに呪わしい想いにさえなり、そんな自分を空虚な気持ちで見つめていた。
  ―そんな顔するなよ。今日はクリスマス・イヴだぞ―
そう言って笑ったカガリは当時、この国の代表首長に半ば担ぎ上げられるような形で就任してまだ間もない頃だった。
笑う余裕など一切無い程日々慣れない激務とプレッシャーに心身は疲れきっていた筈だった。なのに思い遣るあまり、出来得る限り自分の前では必死に笑おうとしていたのだ、と今になってアスランは思う。
  ―この国のクリスマスは初めてだろ?生憎、雪は降らないけどその代わり、いいものを見せてやるよ―
そう言って連れ出されて見せられたものは、星。流れる、星の矢達。
  ―この時期はいつも流星群が見られるんだ。雪の代わりに降る星、綺麗だろ?―
同じように大きすぎる宿命というものを背負いながらも、前を見据えてその小さすぎる手で未来を拓こうと、その為には自己犠牲をも厭わない強い意志を湛えたカガリの瞳に、幾筋もの星が流れた。
思えばあの日から自分の想いは定まっていたのかも知れないとアスランは街路樹の灯を見上げる。
あれから10年近くが経つ。
あの頃見えなかった未来は、僅かずつではあっても形になり始めた。そして漸く自分の手で拓くべきものが、見えなかったものが見えつつある。それはまだ到達するには遠すぎる距離かも知れないが、見えなかった頃の失望感はもう無い。そこへ辿り着くまでに、自分はまだ多くのものを支払わなければならないのかも知れない。けれど、微かな灯はその先にある。
見上げた瞳に、夜空の光が一筋流れたような気がした。
ゆっくりと街の通りを歩き続け、やがて外れにあるまだ真新しいホテルの前でアスランは足を止める。
そのエントランスをくぐると、華やかにデコレーションされた大きなツリーを飾った吹き抜けのアトリウムロビーがあり、そこではどこかの室内楽団がクリスマスに因んだ曲を演奏していた。聞き入る人々の姿を横目に、そのロビーを通り抜けて、アスランはエレベーターに乗り込む。一番上の数字のパネルを押すと、ドアを閉じたエレベーターは滑るように上昇を始めた。ガラス張りになっている片側の窓からは街の灯が見え、数々のイルミネーションが上昇すると共に次第に小さくなり、街を覆う星のように見え始めた。
やがてエレベーターが停止して音も無くドアが開く。静まり返った客室階で降りると、アスランは辺りを見回してから静かに廊下を突っ切って奥まった場所にある一つのドアの前で立ち止まった。懐からICカードキーを取り出して開錠すると、開いたドアの中に素早く身を滑り込ませてドアを閉じる。小さな何も無い部屋の中にはまたエレベーターの扉があり、その扉の横に取り付けられているシステムに先程のカードキーを翳すと、それはすぐに開いた。エレベーターに乗り込み、最上階のボタンを押してアスランは壁に身体を預けると、小さく息を吐いた。音も無く静かに上昇するエレベーターとは反対に、次第に小さくさざめいて行く心の中の水面の紋様のような、床に描かれた幾つもの円い模様にアスランはじっと目を落としていた。
上昇を告げるボタンの灯は程無くして点滅を止め、静かにそのドアは開かれる。
淡いライトの光に包まれたエレベーターホールには赤や青や緑の灯りを瞬かせた小さなツリーが飾られ、人気の無い薄暗い静謐の中でそれは温かな色の光を投げ掛ける。その光の瞬きの中に立つと、アスランは向こうにある扉に目を遣った。
淡い光に照らし出されたその扉を見つめると、静かに歩を踏み出す。
廊下の毛足の長いカーペットが足音を吸い取ってまるで音の無い世界をゆっくりと扉に近付くと、先程のICカードキーを再び取り出して扉に翳す。開錠の電子音が音の無い空間に小さく響き渡った。
押し開かれた扉の向こうには薄い闇の帷。
照明の灯りが消されたその部屋の、薄墨を辺りに零したような夜の帷の向こうに、まるで星屑を集めたような光の瞬きと、散りばめられた色取り取りの宝石が輝きを放っているかのような眩い光景が広がっていた。そしてその光景の中に、浮かび上がるようにして立つ人影が身動ぎもせずにその瞬く灯の光を見つめている。
「遅くなった」
一言それだけ告げると、アスランは窓辺に立つ人影に静かに歩み寄る。
「見てたんだ、この光達を」
ポツリ、とそう言う声に並んでアスランも窓辺に立つ。
眼下に広がる光はそれぞれに明滅し、蠢き、それ自体が蛍を思わせる生き物であるかのように見えた。
「一つ一つが命みたいだなと思って」
そんな言葉が紡がれた横顔は微かな光に照らされて、眼差しは母が子を想うような優しい色に満ちている。
その眼差しに、先程見た人々の笑顔をアスランは想った。
「守れているんだろうか、私は――アスラン?」
そんな呟きが漏れたと同時にふと光を宿していた眼差しが一瞬に曇った。ガラスに当てられた手が、ゆっくりと握り締められる。
「守り、たい――」
小刻みに震えるようなその薄い肩や細い体に、その光全ての運命を背負おうとしている姿は、昔のあの頃のまま変わらない。その肩や体が昔より丸みを帯び、ふとした表情や仕草さにいつの間にか艶やかさが加わるようになっても、何も変わらない。波が凪ぐようにしんと静まって行く心の水面を感じながら、アスランは目を細めた。
「カガリ」
小さく名を呼んで、後ろから穏やかに両腕で包み込んだ。小さな体。昔よりも小さく思えるのは、自分の肩幅が広くなったせいだろうか、と思った。
「守りたいんだ、この国を」
その言葉に返事をする代わりに、より優しさが包容の内に加えられた。
「だから、――アスラン聞いて欲しい願いがある――」
回した腕の上にそっとカガリの細い指が触れる。
「――これからも力を、私に貸してくれないか――」
小さく呟かれたその言葉に籠められたのは語られない想い。
未来の約束など何も無い、何の報いる証も無い。
ただ遠く果てし無い道の向こうにきっとある筈の、同じ未来の灯を信じて歩き続けるだけ。
「――莫迦だからな」
ゆっくりとカガリの指を自分の手の中に包み込みながらアスランは言う。
「以前、ある人に言われたんだ、『本当にお前は莫迦だ』って――莫迦は死ななきゃ治らないって言うからな」
そして先程よりやや強い力で小さな体を包み込んだ。
薄いドレスの生地を通して伝わるのは温もりと、鼓動の震えと、そして一途なまでの切なる願い。
眼下の眩い光の雫はその願いの星のようにキラキラと輝いている。
黙ってしまったカガリが泣いてしまう前に、何か言葉を見つけようと思ったアスランの目に、その時一筋の光の流れが映った。
「――あ」
雪の代わりに降る、星。
それは細い軌跡を描いて幾筋も空から舞い降りる。
「カガリ、流星群だ――」
その声に、空を見上げたカガリの瞳にも幾筋もの光が映った。
昔、あの日に見た同じ空に、同じ光の矢が降る。
一緒に見た、空。
一緒に見ようとした、未来。
「変わらないな」
そう呟くアスランの声に、カガリも答える。
「うん――」
「変わったけど、変わってない」
「うん――?」
「変わってないんだ」
繰り返されるその言葉に、不思議そうにカガリが振り返る。
「何言ってるんだ?」
訊ねるカガリの額に、自分の額を寄せながらアスランは微笑む。
「――いいんだ」
聖なる夜に願いの星は舞い降りる。

優しさを湛えた心からの微笑を君に。
手の中にある未来がいつか微笑みに変わるように。

そして今は永遠よりも尊いこの忘れ得ぬ一瞬を、どうかこの唇に。





―A happy night of Christmas!―



(2006/11/23)

*再掲載にあたって*
この話は当時参加させていただいたアンソロ本に書かせていただいた話の、その後の話として書いたもので、2周年記念小説として短期間だけ公開していたものです。
アンソロ本の内容は、戦後5年後の二人の関係と生き方を自分なりに書いたものでしたが、この話はその内容を知らなくてもそれなりに読めるように書きました。
今ではもう書けない本編添いの貴重な(笑)話なので、今更ですが再掲載することにしました。
今から読むと、当時の文体のほうがマシなような気がして、とても懐かしいです。
(2009/12/12)